-No.1155-
★2016年11月19日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2081日
★ オリンピック東京まで → 1343日
◆9月4日、和野っこハウス
大槌川の上流、和野。
周辺に、いくつかの仮設住宅団地が集まり(ここより上に仮設はない)、それらをあわせ受け持つサポートセンターの「和野っこハウス」がある。
ここが、木づくり(木工)ワークショップによかったのは、ほかの小ぶりな集会所にくらべてスペースが広かったことと、座卓ではない椅子とテーブルの条件がなにより好都合だったから。
くわえて、こういうことにはかかせない、求めても得られるとはかぎらない〈出逢い〉の妙もあった。
とにもかくにも、そんな縁あっての「きつつき集会」も、回をかさねてこれで5作品め。
このイベントも、ひとつの節目、折り返しを迎えた。
はじめたときからの参加者、その多くが昨年から今年にかけて、待望のわが家(新居)にうつったことが大きい。
めでたいことではある…けれども、世話になった仮設団地に、なおのこる人たちへの遠慮があるのか。
「ながらくのご支援ありがとうございました」
との挨拶のことばを添えて、欠席の返事を何人かからいただいた。
(なぜ、そこまでの気づかいを……)と想うが。
感じ方、考え方は、人それぞれだし、ボクらおせっかい支援の立場からはただコトバもないことだった。
ともあれ、さて。
木づくりワークショップ、このたびの作品は「花鉢スタンド」。
お部屋に置いて、人形飾りにしてもらってもいい、使い勝手いろいろ版。
何種類もの、細かい部材を組み合わせて仕上げるので、思いのほかに手間どり(ボクの判断があまく、所要時間をヨミちがえた)。
けれども、これも積み重ねの成果で、地元の方おふたりのSさんのお手伝いと協力があって、なんとかしのげた。
大槌のSさんと、もうひとりは山田町出身でいまは釜石に住むSさん、それぞれに気をきかせて持参くださった電動工具の助けがなければ、正直キツかったところ。
ぼくが東京から車で持参できるのは、材料と手道具(いうまでもない、すべてもちこみの無償ごと)くらいだったから、ほんとうに助かった。
木工作に手間どったぶん、「お茶っこ」の時間はかぎられたけれど。
昨年の作品、手づくりの巣箱に小鳥が入ってくれた話しなどに、わいわい盛りあがって、愉しいひとときがすごせてヨカッタ……
……のではあるけれど。
◆ひとつ、ザンネンだったのは……
とうじつ、おひとりだけ、なんの連絡もなしに欠席の方があったこと。
これまでになかった(遅刻はあったけれども)ことだけに、どうしたことか心が痛む、気にかかる。
(”出席”の返事をハガキでくれた)約束をお忘れになったか。
あるいは……
(大槌町でも少しあったらしい)台風10号の被害処理のことでもあったのかも知れない、けれども。
しかも、ほかの、一般の方の場合とは、ちと立場がことなる。
これまで、岩手県沿岸部の災害復興支援におおきな力を発揮してこられた、遠野に本拠をおくNPO法人の、たしか現在は理事長さん。
(お付きあい)くらいのつもりの、軽いお考えでおられたか、(じぶんが欠席してもたいしたことはあるまい)とでも思われたか。
後になっても、それっきりナンの音沙汰もない。
このことが、とてもザンネンなわけがあって。
じつをいうと、このたびの《11.3.11》があってから5年余このかた、ずっと考えさせられていることが、ほかにもあって。
それは……
災害復興支援にまつわる、さまざまな場面でのコミュニケーション不足、ということ。
なるほど、こんな非常時の場合は、それこそ”一期一会”。
被災された側の立場からすれば、”来るものこばまず”でしか対処しようがない、ことはあるだろう。
とくに、ぼくのように個人的な「すきま支援」の者は、おじゃまにならないようにしていればいい、ことかも知れない、が。
しかも、いまどき。
若者たちのあいだでは〈連絡をするもしないも自分の勝手〉ということのようだし、現に、そういう若者たちのボランティア活動に多くをたよってきた復興支援現場でもあった。
それは、よくよく、わかっている。
けれども、しかし……
被災の現地に生きて在るのは、若者たちだけではない、その多くをしめるのは熟年者であり、年寄たちだ。
そうした場合の人の世のあれこれ、こころえた方々までおなじ、いまどきの”若者流”でイイのだろうか。
だいいち、あれから5年以上を経たいまは、その初動期とは状況もずいぶん違ってきているのに。
(それはないだろう)と想うのは、いきすぎだろうか。
ぼくらニッポン人。
災害列島に暮らし、”常在避難”意識であるべき民族。
復興支援の裾野の、さらなる広がりと、進化を遂げていかなければならないはずの、風土にあっては。
それなりの人生経験をつんだ”年かさの世代”の指導力、コミュニケーション手段のありようが、不可避・不可欠なのではないだろうか。
そうして、実際に。
《11.3.11》後にも、熊本地震があり、鳥取地震があり、今後もまったく、かたときの油断もならない場面に、ぼくらはある。
それでも、あえて。
とくにだれそれの別ない人海戦術がすべてで、それでよし。
コミュニケーションなんか、たいしたことではない、とでもいうのだろうか。
ちなみにボク、この記事を公開したらすぐ、ワークショップに参加してくださった方々に、とうじつのスナップ写真を記念にお送りしている。
みなさんの電話番号、メールアドレス、所在は、ときをかけ、親交をふかめて教えていただいたものだ。
そうしてえられた、小さな、けれどもたしかなつながりに、ささえられている。
にもかかわらず、いっぽうには。
そんなことには、さっぱり無頓着をきめこむ人も、ざんねんがら少なからずいる。
……………
おせっかいな、ちっぽけな個人的〈すきま支援〉にまで、いちいち挨拶なんぞしてられない、ってか。
冗談でなしに、マジにか。
こっちだって、さ。
ていねいな書簡(手紙や葉書)のやりとりなど、いまどき初手から望んじゃいないけれども。
携帯のひとこと電話1本、たった1行のメール1通でもいい、それはやっぱりあるべきじゃないのか。
それとも、あるいは、それさえもないことにナットクのいかないぼくが、オカシイのか?
わがままだ、とでもいうのだろうか。
欠け茶碗で飯が食えるのか……