-No.1104-
★2016年09月29日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2030日
★ オリンピック東京まで → 1394日
◆見ない、見ようとしない、現実
”金モノ竹矢来”ロード国道6号に戻って…雨中…北上。
竹矢来とセットにされた警備員の、雨粒に濡れた仏頂面が気にかかる…5年。
大熊町に入ってまもなく、福島第一原発の入口。
海側へのT字路の幅員が国道より大きい、そのアスファルト面がベタ濡れて人気のないプールを想わせる。
立ち退かせた住民たちを異郷に追いやっておいて、原因企業の一事業所のみがふてぶてしく隠れ居据わっている、が。
鉛色の空に屹立する鉄塔群と送電線が、その隠れ家の在り処を「こっちだ、ここだ」と指している…笑劇。
視察の方々は、けして、この現実を見ていないか、あるいは、見ようとしない。
双葉町…浪江町…へと、流し缶に固められたぜり-菓子みたいな光景の繰り返し。
長らく、国道6号〈北の封鎖口〉だった知命寺交差点をすぎ、南相馬市に入ると、ふっと風景がなごむ。
国道6号が”金モノ竹矢来”ロードから開放された、それだけのことが、どれほどおおきかったか……
市内小高区の常磐線「小高」駅までは、ことし7月12日、市内の中心部「原ノ町」駅からの線路が復旧、開通(再開)していた。
その、ひとつ手前、昨年も訪れた「桃内」駅に、再度立ち寄ってみる。
(-No.687-2015年8月9日記事http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=8454420450104592176)
田園のなかの小ぢんまりした駅付近には工事車両の群れ、車を寄せるゆとりもなく…とりあえず工事は進行中のもようながら、駅舎はまだ草むらに隠れていた。
小高駅。
原ノ町-小高間の常磐線復旧にあわせて、南相馬市に一部のこされていた区域の避難指示が解除になった。
これで市内のほとんどが居住可能になったいうことで、新聞には「1万人超 帰還可能に」の見出し。
だから…もっとにぎわっているものと思っていたのだ、けれど。
あいにくの雨もあってか。
駅前には、ボランティアによる花壇づくりの風景が見られるばかり。
昨年も、たしか似た光景に出逢った記憶があり…。
(そうだ、去年は草むしりだったっけ)
いまもボランティアに駆けつけてくださる人々の心根に感じ入りながら、福島の復興の道のり遠いことを思わざるをえない。
おなじような風景、宮城・岩手で見られたのは震災2年目、2013年の春頃までであったのダ。
小高では、〈復興三婆〉を自認するお三方に逢いたくて。うち…
ボランティアの世話をやいていたHさんとは駅前で再会、K・Tさんは経営する双葉屋旅館を再開していたけれど、K・Sさんの元気な声は聞くことができなかった。
(-No.716-2015年9月7日記事http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=6653458415120119600)
ちなみに、この日は日曜日。
そういえば昨年も、訪れた日はあいにくの日曜日だった。
巡礼の旅の曜日あわせはむずかしい……