-No.1103-
★2016年09月28日(水曜日)
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◆8月28日(つづき)
富岡町の北部内陸、大熊町との境に「夜ノ森」と呼ばれる地域があり、常磐線にも同名の駅が存在する。
富岡駅で海に迫り出した常磐線の線路も、夜ノ森駅に向けて内陸へ軌道修正している、のだが…。
”陸前浜街道”国道6号に並行して、山側を、川内村・葛尾村・飯舘村と縫って走る、もう一本の”原発被災地ルート”国道399号がある。
その国道399号川内村から、富岡町へと下る山道の県道36号が、この夜ノ森駅付近で帰還困難区域の立入禁止”金モノ竹矢来”にドンと行く手をはばまれる。
この県道36号はまた、富岡の町場に入って常磐道・常磐富岡ICとも接続。
そんなこんなで通りかかることが度重なるうちに、気になる地点・風景のひとつになった。
この土地の住民でも関係者でもないボクは、帰宅困難区域から閉めだされるほかない。立入禁止区域はもとよりダメだし、立入制限区域にしても出入りするには「申請」と「許可」の手続きが要る。
金モノ竹矢来の向こうには、治外法権のにおいがする。
「夜ノ森」の語源は、むかし相馬の殿様が「余の森」としたからだという説があるそうだ、けれども。
いまのキビシい現実を直視すれば、福島第一原発と第二原発の中間、両原発をむすぶラインを底辺とする三角形の頂点にあたる。
「夜ノ森」には”森の賢者”フクロウをイメージさせるものがあるが、金モノ竹矢来の向こうの夜ノ森は…日中の陽ざしのなかでも、ただひたすら冷たく暗かった。
そんな町に……このたび、風穴がひとつ開いていた。いやおうなし「そこのけ」門前払いだったその一部、裏の木戸口の閂〔かんぬき〕がはずれた…。
つまり、立入の禁止・制限区域が少し減った、いうことらしい。
ぼくらは海沿いの道から国道6号を越え、はじめて富岡の町中に入れた。
商店街があり、民家の区画があり、公共施設の建物がまじり…。
しかし、道を行くのは赤色ランプくるくるさせた警察車両であり、住民有志のパトロールカーであり…。
商店の「立入禁止」札かかったガラス戸は破れ、学校の校庭には除染のフレコンバッグが積まれ、長靴の靴跡が途切れたさきは草茫々…。
ふと、道を尋ねたくなっても、こたえてくれる人影ひとつなく…。
すべては震災直後に逆もどりして、現在までの時の経過を示すものといえば、めげず、ひるまずの、雑草の丈の高さと広がりばかり。
それでも、なんとか…