-No.1065-
★2016年08月21日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1991日
★ オリンピック東京まで → 1433日
◆もっと素直にメダルをよろこべ柔道ニッポン
柔道もすべての競技をおえ、すでに帰国。
男子は、全7階級でメダル獲得、女子もあわせれば計12個のメダルは…まぁ、まぁ、よかった。
金メダルなしなんてオリンピックもあったことを想えば、よろこんでいいのだろうが。
なにかしら、ものたりないのはなぜか。
選手団出発のときに、井上康生監督が「全階級制覇」を目標に掲げたせい、それもたしかにある。
”制覇”は”金”しかあるまい。
前景気はいつになくよかったし、好成績がおおいに期待されたわけだが。
それにくらべたら、やはりものたりない。
ところが、監督のコメントはといえば、これが意外…
「偉大な歴史に名をを刻む7人になった。誇りに思う」
ほとんど手放しに、涙ぐむほどのことだったのだから。
あれは、出陣にあたっての景気づけにすぎなかったのだ、内心はホッとしたわけだろう。
しかし、まだスッキリしないものがのこる。
73kg級大野將平くんの金は、みごとニッポン柔道ここにありの殊勲であった。
90kg級ベイカー茉秋くんの金は、その屈託ない笑顔が、これもよかった。
そうダ…スッキリしない理由は、これだった。この二人をのぞくと…
12個のメダルにふさわしい笑顔がなかった。
「連日のメダルラッシュ」と叫ぶテレビにも、違和感があったのはそのせいだ。
ほとんどが銅メダルだった、つまり決勝の畳には立てなかったから。
「無念だ」「口惜しい」気もちはわかる。
でも、メダリストだろ、素直によろこべ。
オリンピックは、競技柔道である。
「日本柔道」は別にある。
そして、これはオリンピックの舞台なのだ。
オレは柔道ニッポンの選手として、なんて気どりは洒落〔しゃら〕くせぇってもんだ。
100kg超級の金メダリスト、フランス選手の「ありゃ柔道じゃない」のはたしか…だけれど。
柔道という武道を、世界にひろめたいと願い、オリンピック競技にと望んだのは、ほかでもない発祥国のニッポン柔道だ。
国際化するということ、それには夢もあるが、とうぜんリスクがともなう。
一国の精神(武道)が、そのままに理解され、全世界に普遍するなど、ほとんどありえない。あるとしても難儀な道のりを踏み越えて末のことだろう。
日本の柔道界も、国際化したときに今日ある姿を想像できたはずである。…ま、ちと想像を超えすぎたというところが、ホンネかも知れないが。
とにかく、ずいぶんイイ思いもさせてもらったでは、なかったか…。
日本の柔道は、国際化したときから、世界のジュウドウになった、ということだ。
日本国民だって、もういいかげん、そのことはおりこみずみ、いまさら負けたからって屈辱とまでは思ってもいない。ただ、やっぱりちょっと寂しい、口惜しいだけである。
「(日本の)柔道らしくない」などと思い上がるべきではない。
どうあれ、世界に認められたルールの競技である以上、そのうえでの順位づけが気に入らないというなら、出たがらなければいい。
出て、金メダルをねらっていたけれども結果は銅…なら、やむをえまい。
へんに口惜しそうな顔などされると、かえって見苦しい。
「負けても銅じゃ」アスリートとしてよろこべ、ほしくてもとれないヤツがゴマンといるのだ、失礼であろう。
応援する日本国民にも失礼であろう。
その上で、やはり「一本」勝ちの日本柔道でありたい、それこそがほんとうの金メダルだ、いうなら。
よし、今回屈指のみごとな金メダリスト大野くんのように「段違いの強さ」を獲得してほしい。
そのうえでの金メダルなら、だれも、もう、文句などあろうはずもない。
今大会、一定の成績をのこした井上監督には、2020TOKYOをめざして、そんな骨のある選手育成をのぞみたい。
オレたちは、やっぱり金メダルより、らしい日本柔道が見たいのダ。