-No.1020-
★2016年07月07日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1946日
★ オリンピック東京まで → 1478日
◆やさしい目の色
ぼくは由布島というのを、知らなかった。
いや、遠い潮騒のようにかすかな記憶はあったのだが、花綵〔はなづな=レイのような首飾り〕 にも譬えられる日本列島の、いったいどこら辺りにあるのか、まるでけんとうさえつかなかった。
それが、こんどの離島ツアー・コースに入っていたことで、西表島の属島のような存在であることが知れた。
マングローブ・クルーズの仲間川から、さらに東海岸を北へ行ったあたりの海岸に、一輪挿しか壁掛か、といった風情で寄り添ってある。
ガイド上手なバスの運転手さんも、この小島については多くを語らず、
「どうぞたっぷり水牛車の海を楽しんできてください」
まだ雨ののこる浜辺の駐車場にブレーキを引いて、笑顔を振り向けた。
いま帰ってきたばかりの別のツアー客と交錯しつつ、待合所に駆けこむ…と。
すぐに、係りの人から配車の声がかかる。
「〇〇ツアーのお客さまは、〇号車と〇号車にどうぞ」
小屋掛け二輪タイヤの水牛車は、定員8名くらい。
それに御者も加えると、結構な重量になる。
ぼくは、動物が観光色に使役されるのを好まない。
…が、水牛はもうすっかり心得たふうに、客が乗りこんだところで歩きだそうとする。
よくよく見ると、目の優しい賢こそうな動物だった。
西表島と由布島の間の海は、まるで、そのために用意された浅瀬のよう、満潮時でも水の深さは1メートルほどという。
重い荷を引いて水牛ちゃんが、ゆるゆるペースでパチャパチャと水音をさせて行く、ただいまは干潮。
途中、ふと歩みをとめた水牛ちゃんが、オシッコをする。
「じぶんで適当に休みながら行くんです
勤務時間や労働条件は人も水牛も平等です」
飼い主の御者がいう、言いおわるのを待って、また車が動きだす。
御者が、三線を手に、揺れながら沖縄民謡を唄って聞かせる。
水牛車ゆらゆら、適当な方向を目指して、ひたすらゆらゆら。
現実感が、どんどん遠のいていくのを感じる……
島を目指して立ち並ぶ電柱と、張り伸ばされた電線が、いつか見た西部劇の世界みたいでもあり。
水牛車が停まったところが、由布島。
番地は、沖縄県八重山郡竹富町古見687。
八重山諸島も南端の島々、なかでも交通の要衝にあたる竹富島を中心に、竹富町が成立しており。
西表島も竹富町、由布島も、これから向かう波照間島も竹富町である。
その竹富島にも、やはり水牛車がある。
現実感が、さらに遠のく……
着いた由布島の浜でも、各ツアーそれぞれの滞在時間が粛々と告げられ。
いつのまにか、ウソみたいに雨もあがっており。
客たちはみな従順に、レイを首にかけられ、案内人に導かれるままに記念撮影コーナーへと誘導され。
ついには、記念写真を買わされる魔法にかかってしまう。
開放されたところが、また現実感のうすい亜熱帯植物園で、ボウゼンたる夢は青空に吸いこまれてゆくのみ……
ぼくは、人を乗せた車を曳く水牛たちに心ひかれるものがあった。
ぼくが、いまでもよく想いだす、いろあざやかな光景は、モンスーンアジアの広い広い緑の水田である。
そこで人とひとつになって犂を引き、田を耕しているのは、その角が円い満月を想わせる、まぎれもない水牛なのだ。
現実にどこかで見た風景なのか、あるいはなにか映像だったのか、ついに判然とはしなけれども。
古い記憶として脳裡にきちんと整理されているのだった……
由布島の水牛は、むかし台湾から連れてこられたものたちの子孫、ということになるらしい。
粗食でよく育つ水牛は、まずなによりも、牛より泥田に適応する労働力が評価され、さらには肉にもなり、また脂肪分ゆたかな乳も提供してくれる存在として、農民とともに生きてきた。
周囲2㎞、面積0.15㎢という小さな島。
もともと由布島の住民はみな、ほかの島々からの移住者だったのが、1969(昭和44)年の台風で島は潰滅的な被害に遭ったため、いまは定住者のほとんどない、昼間だけの、動植物のみの、観光の島になっていた。
次の仕事を待つ間の水牛。
かれらは2歳ころから車を曳く訓練をはじめ、3歳くらいから一本立ちするという。
ほかに誰もいないところで対面したら、コトバが通じそうな、表情のあるおとなしい目。
きれいに手入れされた灰黒色の肌が、うっすらと湿り気をおび。
また客たちが車に乗りこむと、御者の合図を待つようにして、水牛たちは黙々と歩みだすのだった。