-No.0980-
★2016年05月28日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1906日
★ オリンピック東京まで → 1518日
◆ヒロシマ…平和記念公園で17分の演説
地球上の超大国〈アメリカの寛容と傲慢〉と、そして〈大統領のレガシー(遺産)〉と。
昨日、オバマ大統領の”歴史的な被爆地ヒロシマ訪問”を、この二つに意味で見守った。
(こまかいことは省かせてもらって…)
17分のスピーチには、ちょっと意外だった。
もっと短いメッセージになるのだろうと思っていた。
アメリカの寛容と傲慢が、スピーチのどこにも顔を見せなかったのは、さすがたいしたものだった。
…けれども、ぼくは、それだけになおさら、アメリカという国の複雑さとそんな国のリーダーとしての難しさが、ジワリと滲み出てくる思いがした。
謝罪なんかよりもはるかに、たいせつなことだった核兵器廃絶を、世界に呼びかける力づよさはなかった。
2009年春、プラハでの、あの後にノーベル平和賞受賞につながった演説の、溌剌として刺激的だった発信力には遠くおよばなかったが…。
これはやむをないだろう、状況も、セレモニーの在り方も、立場も、歴史も…すべてが違うのだから。
ヒロシマ訪問が実現することになったとき、ささやかれた、任期満了が近い「大統領としてのレガシーづくり」という懸念も、きれいに払拭されていて、ヨカッタ。
それにしても……
オバマの演説はうまいし、響きがいい。
アメリカでも評価が高いそうだが、ケネディの演説を思いおこさせる。
ケネディがリズムの演説なら、オバマの演説は呼吸(間)の佳さ。
もちろん専門のスピーチライターがいるのだろう。
その文章作法も能力も、うらやましいくらいに高い。
いっぽう、くらべるとイヤでも見劣りがして、気の毒なのは安倍首相の演説だった。
どんなスピーチライターが書いているのか。
あるいは、この人の日頃のしゃべりと変わりがないところをみると、自分で書いたのか。
いずれにしても、聞かせる術も、説得力にもかけて、空疎なコトバの羅列にすぎない、そのことに気づいてもいないのだろうか。
ほんとに、口惜しいくらいに、その差、歴然。
来年にはアメリカで、パールハーバー(真珠湾奇襲攻撃)から75年の記念式典があり、いまの情勢なら安倍首相が招かれることにもなりそうな…。
そのときに望むスピーチの準備を、ぜひ、いまのうちから始めておいてほしいと思う。
それから、もうひとつ。
オバマさんにも、安倍さんにも、アメリカ政府にも、日本政府にも、忘れてほしくないのは、あらためて”沖縄”のこと。
こんどのヒロシマで〈ガス抜き〉されちゃたまらない。