-No.0978-
★2016年05月26日(木曜日)
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★ オリンピック東京まで → 1520日
◆「でべら」
夢が…奥深い心の襞からか、脳髄の波打ち際からか知らないけれども…。
蟹の泡を吹くように、不意に姿をあらわすことがある。
「でべら」と夢中で呟いて。
ぼくは眠りの水底から目覚めへと浮上しながら。
もうひとつ別な呟きが洩れてくるのにまかせた。
「花の命は短くて」…「苦しきことのみ多かりき」
そうして。
島通いの船が発着する港の岸で、ひとり遊びの女の子は、おませな口調になっていったのだ。
「そっちはねぇ、と~っても小ぃっちゃいお船ョ」
……………
これが、ぼくの尾道だった。
……………
学校が冬休みにはいって、クリスマスが近づく頃になると、ぼくは追われるように夜汽車に乗って都会を離れるくせがついた。
「ジングルベェ…」とか「き~よし~このよる~」とかで、かたちばかり浮かれる世間が嫌で、逃げていた。
昭和30年代、中頃の当時、クリスマス騒ぎもまだ、地方まではさほどおよんでいなかった。
高校に進学してすぐの冬は、瀬戸内を訪ね、一日、尾道を歩いた。
『放浪記』林芙美子の足跡をおいたい気分だった。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
彼女が好んだという、言葉のふるさとに触れたかった。
昼間は、ゆるくない坂道をひたすら歩きながら、多島海瀬戸内の風光、景物に、心なぐさめられようとした。
この冬の旅は、失恋の傷心を抱いていた。
ふところさみしい高校生の宿は、ユースホステル。
そこでは、ざんねんながら酒が呑めない(ぼくはすでに酒の酔いを知っていた)。
散歩に出て、赤提灯の縄暖簾をくぐり、「でべら…を」炙ってもらって、燗酒を啜った。
きょう、坂道を下りた浜で出逢ったばかりの、薄い干魚の名の響きが忘れがたかった。
それは、ごく小型のガンゾウヒラメとやらの素干で、細い縄にひと並びに吊るされ、風に吹かれ、冬の陽に透けていた。
噛むと堅いなかから、ジワッと潮味にとけた旨味が、涙みたいに滲みでてくる。
「でべら」酒を啜っているうちに、いつのまにか、おもては音もない雨模様。
ぼくは、また海辺へと歩いて、ぴたりと風のやんだ雨空に見入った。
その雨は、ツツーーーーーッと、それこそ絵のように糸をひいて闇の水面に消えていく。
天から垂らされた釣り糸のごとく…であった。そうして、
その雨の釣り糸を、孤独な海の底の魚が呑む…のであったか。
たしか、そんな室生犀星の詩があったように思う。
寂しさに、島通いの船の発着でにぎわう港に出ると。
待合所の外で、小さな女の子がひとり遊んでいた。
母親が船の切符を売っている、とかいうことだった。
狭い水道を挟んですぐの向島や因島は、島も大きく町つづきと変わりなく、船も〈フェリー〉然としたものだったが、旅心には気おされるものがあって。
もっと小さな島に渡ってみようか…と。
「どんなんかなぁ」
ぼくが尋ねると、女の子は縄跳びの手をやすめ、きゅうに大人びた口調になっていったのだ。
「そっちはねぇ、と~っても小ぃっちゃいお船ョ」
ぼくはガクッと気もちが折れ、結局、島へは渡らずに帰ってきた。
「でべら」を土産に。
「包丁の背で叩いてから炙るといい」と教えられて。
その通りにしてみると、なるほど尾道、赤提灯の味がして、思わず目が潤っとなってしまった。
包丁(出刃)の背や、木槌で叩くと「柔らかくなるよ」と言われる干物は、その後、北海道でも出逢った。
氷下魚〔こまい〕がそれで。
八角なんかも、堅い干物は叩いたほうがいい。
九州では有明海の特産エイリアン、ワラスボの干物も、ちょっと叩いて炙ったほうがいいようだ。
身の薄いのや堅い魚、干物にしたのを炙る前には、どうやら叩いたほうがいいらしいのは、骨や髄から滲みだす滋味があるからかも知れない。