-No.0971-
★2016年05月19日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1897日
★ オリンピック東京まで → 1527日
◆ほんとは〈飾る〉のが好きなボク
ぼくは、木づくりをする、素木〔しらき〕を好む。
下手に飾りたくない、意識の底にいつも、さりげない極上の飾りがあり、けれども実現することは滅多にない。
装飾品とか、装身具とかを目にすると、胸奥でコトッと、かすかな音がするのがわかる。
とても好きなのだった、じつは飾りが……
(人の場合)男が女に、装飾品をプレゼントするのは、一種の代償行為あるいは補償行為といっていい。
だから余計に、ぜひとも似あってくれなければイケナイ。
一般に、(人の)男に、あからさまな装飾がゆるされるのは、祭りのようなハレの日とか、とくべつな場合にかぎられてきた、長い間。
いまは、そうした縛りがゆるくなったせいで、〈飾り男〉を見ることが格段にふえた。
ただし正直なところ、本人の自己満足を除り去ってしまうと、似あっていることなど極く稀れで。
(この人は鏡を見ることがあるのだろうか)と怪しまれる。
ワケは知れている、愛敬(愛嬌…とはちがう)がないからだ。
辞書を見ると、「女性や子どもの…」とことわってあることが多いとおり。
(べつに男性に愛敬は無縁だというのではないけれども)
生来〈たくまざる〉ということでは、とてもとても、女性にはかなわない。
愛敬は、古くは「あいぎょう」といった。
「あいぎょう」は「愛行」とも書かれ、性的にとらえられたりもしたくらいだから、けして男性に無縁ではないのダ、けれども。
「しこ(醜・鬼)」つまり「つよく丈夫なこと」と、「愛敬」は、もとより対極、やむをえない。
だから…だろうか、とくに。
〈飾りもの〉や〈飾りごと〉に、「虚飾」の匂いがまつわることに、男は可笑しいくらいに怯える。
恥ずかしく、うしろめたい。
ぼくもそうだったが、ほとんど身が竦む…といっていい。
それでいて、たとえば暮夜、ひとりひそかに〈試し〉てみないではいられない。
カクニンは、イチかバチかの勝負ごと、という点では表面(じつは女性の方が勝負度胸に恵まれているのだけれど)男性的でもある。
ぼくは、首飾りも、指輪も、もっていたことがあるけれど。
いちなんに好きだったブローチは、カメオ・誕生石・木彫と一時は3つも、もっていた。
ひみつの〈試着〉、胸のときめき……
すると、ワカッタことがある。
他人の身に着けているブローチという飾りの、それがどう似あうかということが、とつぜんにハッキリ、クッキリ裸形で見えてしまう。
その気づきとは…。
ブローチというアクセサリ-(装飾)は、胸に膨らみのある、つきつめればウェーブする、凹凸のある、脈うつ、自負と不安に揺れる胸にこそ、たしかに似あっている。
女性の、豊満にすぎない胸、男性のむきむきにマッチョすぎない筋胸、どちらでもかまわないのだけれども。
ともかく、ふくよかな胸にこそ、羽をやすめる美の壷がある。
そのどちらもない、ぼくには。
ブローチは似はわないから。
それっきり、ぼくのブローチは胸奥に隠密されたたまま……