-No.0917-
★2016年03月26日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1843日
★ オリンピック東京まで → 1581日
◆3月11日(金)…陽にようやく春のきざし
旅立ちの8日からずっと、”もどり冬”の冷え冷えした天気つづきだったのが、この日はようやく緩んで春の陽ざし。
ぼくらは地鉄(富山地方鉄道)立山線で、立山連峰の麓を目指した。
神通川と常願寺川の氾濫原だった富山平野を、突っ切って走ること30分ほどで山塊が近づき、やがて山峡へと分け入る。
ぼくはカミさんに、立山博物館を案内してあげたかった。
と同時に、自身にもその記憶を呼びもどしておきたかった。
なぜならそこは、日本民俗の心根に広がると思われる山岳信仰が、ごく自然なかたちで体感できるところだった。
地元の立山町では「地域まるごと博物館」と呼んでいる、そのとおりのたたずまいがボクは好きだったし。
春の観光シーズンにはまだ早かったけれど、かえって、そんな時季のほうがこのましいような気分もあった。
ところが……
終点の立山駅で電車を降りたところから、俄然、雲行きがアヤシくなってきた。
立山博物館への行き方を尋ねたら、駅長さんの顔つきがキョトンとなり。
「ここからはバスも、タクシーもないんですよ…はぃ、バスはここから3つ手前の千垣駅からならあるんですが…待ってください、え~と、こまったなぁ、いまからだと、あとは午後1時までバスの便がありませんねぇ」
彼の戸惑いのこたえに、ようやくボクは自分の思いチガイを悟る。
ぼくが前に立山博物館を訪れたのは車で、であり、乗り換えなど気にするこたはなかったのだった。
こんどはじめて電車で行くのに、よく確かめもせずに、立山駅下車と思いこんでしまったのがイケナイ、不用意であった。
かぎりある地方の交通事情では、乗り換えミスは致命的。
あきらめかけたところへ、駅長さんが助け舟のヒントをくださる。
「博物館の方へ、電話されてみたらどうでしょう、なんとかなりませんか…って」
ケッカ、駅長さんのアドバイスがみごと逆転の一撃となって。
博物館からお迎えの車がきてくださることに。
まことに申し訳のないことで、この場を借りてお詫びとお礼を…。
春の観光シーズンにむけて、立山ケーブル運行開始にむけての準備がすすむ立山駅には、身に沁みる冷たい風が吹き渡り、仰ぎ見る美女平から弥陀ヶ原方面の山襞には、樹氷の陽にきらめくのが望まれた。
ともあれ……かくして、辿り着かせていただいた立山博物館。
立山神社中宮寺の宿坊集落、芦峅寺〔あしくらじ〕にある施設は、展示館・資料館エリアと、遥望館・まんだら遊苑エリアの二つからなる。
ぼくたちは、まず、閻魔〔えんま〕堂から、此岸(この世)と彼岸(あの世)の境に架かる布橋108枚の敷板を渡って、極楽往生をかなえる媼堂〔うばどう〕基壇に隣接する遥望館へ。
この館では、畳敷き大広間の壁に、立山の四季の自然と立山曼荼羅の世界が3面の大型映像で映し出されて、不思議空間を逍遥。上映がすむと、スクリーンがとりはらわれた大きな窓の向こうに立山連峰を、もじどおり”遥望”できる仕掛けになっているのだが、いまはまだ惜しくも雪囲いにはばまれていた。
まんだら遊苑もまだ雪除けの最中で、”地界”から”天界”へ登拝の”陽の道”、再生の”闇の道”なども歩けず。
また他日、再訪のときにゆだねた。
それでも芦峅寺集落の人たちにしてみれば、ことしは雪が少なくてまぁ助かった…ということだった。