どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

関東大震災の爪痕を見る…伊豆・伊東市内2寺の事蹟/仏現寺「津波供養碑」と海蔵寺「つなみ浸水石」

-No.0864-
★2016年02月02日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1790日
★ オリンピック東京まで → 1634日









◆9月1日を忘れるな

 父の会社の保養所があったので、伊東温泉は子どもの頃から知っていた。
 斜面に建つ宿からは海が眼下に望め、つまさき登りの畑でミカン狩りの記憶がある。
 眺めのよさと一緒に、ナニかあったときのコワさも感じさせられた。

 半島というのが大概そうだが、海岸からスグのところに山地がせまる。
 その後、伊豆半島との縁が深まるにつれ、大きくはなかったが何度かの地震を経験。
 そのたびに、イザというときの避難ルートを脳裡に描きつつ、箱根方面へと逃げ。
 奥に行けば行くほど、つまり南伊豆あたりまで入りこんでしまうと、脱出には非常な困難がともなうことを覚悟させられた。

 だから…。
 東海岸であれ、西海岸であれ、伊豆半島入りするときにはかならず、緊張の糸ひとすじ。

 《11.3.11》東日本大震災をきっかけに、各地で古文書の震災記録見なおしや、震災・津波供養碑の検証がすすめられた。
 伊東市内にも、そうした事蹟がのこる。
 
 はじめに訪ねた仏現寺は、市中温泉街の高台。
 境内から伊豆の海が見えるこの寺には、江戸時代・元禄地震(1703年)と大正時代・関東大震災(1923年)の津波犠牲者供養塔4基がのこる。
 元禄地震では163名、関東大震災では105名の犠牲者。
 関東大震災震度6)の供養碑には「九月一日ヲ忘レルナ」と大書された下に「老幼相扶ケ安全ナル高地ニ避難スベシ」と刻まれていた。

 小雨そぼふる凍てつく空気のなか、庭の万両の実の紅、ミカンの実の黄橙が注意を喚起する。
 ただし、この寺までが津波に襲われることは、さすがに、まずなかろう。

◆石段にのこされた爪痕

 もう一ヶ所、もっと切実な事蹟は、川奈の海蔵寺
 港から200メートルほどの山際に建つこの寺、境内へと上がる石段には、関東大震災津波が到達した下から6段目のあたりに、「つなみ浸水石」が据えられてあった。

 この石段には、あと二つ、津波伝承がのこされており。
 それによれば、安政東海地震(1854年)の津波は下から3段目まで。
 最大規模だった元禄地震津波は上から3段目まで届いた(波高およそ8㍍)といわれる。

 すぐ目前まで津波が迫った境内の一隅には、海豚〔いるか〕供養の碑。
 低気圧の接近で波荒い漁港近くの辻には、「ここは海抜2.5m」の標示が雨に濡れていた。

 伊東市では《11.3.11》以後、29ヶ所を津波避難ビルに指定したそうだが、ざんねんがら川奈地区にはそんな条件をみたすビルはない。
 避難訓練では、いったん海蔵寺に集合したあと、さらに裏の山道を登って、海抜約40㍍の幼稚園まで住民を誘導したという。