-No.0800-
★2015年11月30日(月曜日)
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*本稿も800回になりました*
◆『猫語の教科書』を読んだ
10年以上も前に、かみさんが本屋の書棚にめっけて、買ってきて、自身は読み。
(期待したほどでもなかったヮ)ということで、そのままになっていた、のを…。
前からときおり、ちらちら横目にしていたボクが、手にとってみる気になった、というわけ。
本には、そういうことが間々ある。
ある日、玄関前に置かれてあった分厚いタイプ原稿の束。
それは暗号で書かれており、これまでにあったどんな解読法も役だたないものだったが、なぜか著者にはスラスラ読めてしまった…という調子で始まる物語り。
著者はニューヨークのポール・ギャリコ。1995年筑摩書房から刊行された単行本の文庫版(ちくま文庫、1988年)。
愛らしい猫という生きものに、ペットとして同居を許してきた…とばかり思いこんでいた人間たちは、じつは、猫族の優れた策にのせられた結果、家もその暮らしの主体も、すっかり猫に乗っ取られてしまっているのだ、という内容を読めば。
無類の猫好きは「ソウでしょうとも」よ~くワカルが…。
映画『ポセイドン・アドベンチャー』の原作者とは知らなかった。
1976年にモナコで、すでに故人になっている彼は生前、「ぼくは小説家なんかじゃない、ただのお話し好きだよ」と語っていたそうだが、なるほど欧米流のすぐれたストーリ・テラーだ。
スザンヌ・サースという女性カメラマンによる写真も、チャーミングで気がきいていた。
そうして、読後。
「まぁ、いいね、とてもよかったよ。ただ、やっぱりウン、うちの猫のほうがずっと、はるかに自尊心がつよくて、そのくせけっこうドジだったりもして、いいネコだったね、あぁ、あいつこそがサイコーだよ」
そう思ったボク(カミさんも…期待したほどでもなかった…という感想からしてまさにそうだった)は、まんまとポールの術中にはまっていたことになる。
そうして、しかも…。
いま現在まさにネコと同居中という方より、かつて生活をともにし亡くした愛猫を偲んだ方のほうが、きっと。
そんな読者が多かったことだろう、ぼくたちのように。
「愛猫の名は」…「〇〇」。
ぼくがパソコンで使っているIDやパスワード、忘れたときの本人認証のキーワードに、それはいまでも生きている。