-No.0783-
★2015年11月13日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1709日
★ オリンピック東京まで → 1715日
◆もういっちょ、フォト・エッセイふうに
ぼくたちお気に入り、観音崎京急ホテルのすぐ西側が走水漁港。
その漁港から、海に突き出す小さな岬が御所ヶ崎。
昔むかし日本武尊が、ここから対岸の上総に渡ったといわれ、タケルノミコトの無事を祈って入水した妃、弟橘媛を祀る橘神社がありました。
御所ヶ崎はその後、明治政府によって軍用地とされたため、橘神社は日本武尊を祀った走水神社に移されたのでした。
漁港背後の集落のさらに後背、急な崖を背負って建つ走水神社、氏子町内が盛り上がって燃える夏祭り。
ことしは西暦奇数年の本祭り、7月19日の日曜日が本宮でした。
思いっきり派手に塗りたくった厚化粧の、海の男たちがシコリます。
「しこる」の語源は「醜〔しこ〕」ですってね、「みにくい」わけじゃなくて力いっぱいで「すごい」ほどの意味、つまり普通じゃない。
「しこる」はまた「し徴る」とも書いて、色浅黒くごつい男どもの化粧には、「懲りないやつら」の実感がこもります。
ほかに「痼る」「凝る」とも書いて、いずれも脂ぎって化粧がのるはずもない、男ざかりをいうのにぴったり。
とにかく、そんな男たちが年に一度の無礼講、謹厳な神さまにもこの日ばかりは笑ってもらおうという魂胆でもありあます。
そんな陽に灼けて赤銅色の、海の男たちに担がれた神輿が、各地区町内をまわりながら、氏子の家一軒一軒を祝福していくのです。
ひょいと、そんな男たちと正面から目が遭ってしまったりすれば、ちょと恥ずかしそうに目をふせたりして可愛いく、するとこれは、懸命な照れ隠しのあらわれでもあるのでした。
それとも神さまの手前、荒くれた素顔を曝すのを憚ったのか。
神前に奉納される神楽の舞踊りなど、その多くの場面に好んで仮装や仮面がつかわれるのは…。
もしやすると、神も人もともに、ハレていっとき日常を離れる、そのために必要な所作なのかも。
いっぽう、目いっぱい明るい女性たちの華やぎは、年をおってぐんぐん耀きをますばかり。
お侠〔きゃん〕な娘も、年増の妖艶も、眩しいばかりです。
若い女性や子どもたちのお囃子を乗せた山車は、電線を避けながら狭い路地を曳きまわされて行き。
辻々での休憩時間には、男たちには酒、子どもたちにはスイカやお菓子が振る舞われて、みんなゴキゲン。
夏の一日を、神輿は右に左に揺ら揺ら、要所要所で大きく揉まれながら練り歩くのでした…。