-No.0775-
★2015年11月05日(木曜日)
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◆やっぱり、きたか…
「除染マスクや手袋投棄」、サブタイトルには「福島で常態化 コンビニごみ箱に」
新聞記事が目にとびこんだとき、そう思った。
原発事故処理で国が行う除染作業、そのときに使われた用品の類が、指定された汚染廃棄物専用容器ではなしに、町にあるコンビニなどのゴミ箱に平然と捨てられることが、すでにあたりまえのようになっている…というのだ。
取材に対して、複数のコンビニや除染業者が認めたという。
汚染地域の楢葉町、南相馬市ばかりでなく、周辺の郡山市や田村市でも住民からの苦情、通報があるという。
厚労省福島労働局では「労働安全衛生法に違反している疑いもある」としている、というが、きっと〈腰は重い〉に違いない。環境省でも「業者に法令順守を求め指導もしている」というが、まぁ実態は似たようなものだろう。
ぼくが(やっぱり)と思ったのには、もちろんワケがある。
じつは、ぼくも、それに近い状況を2012年夏には、国道6号”進入禁止”検問所のすぐ手前、広野町の昼どきのコンビニで目にしている。
半透明のビニール手袋を、どこの作業員だかがポケットから引き出し、躊躇するでもなしにゴミ箱へ抛り入れて行った。
事情はワカラナイでもない。
除染作業使用後の手袋やマスクは、きちんと汚染計測をし専用貯蔵施設に保管されるべきものといっても、煩雑で面倒な手間がかかるのだ。
立ち寄ったコンビニのゴミ箱にこっそり捨てたくもなるだろう…では、しかしイカン、イカン、絶対にイカン!。
原発の、放射能汚染物の処理に、”垂れ流し”や”野放し”が放置されたのでは、たまったもんじゃない。
しかし…。
ぼくは、汚染地区の、許可なしには立入禁止の地域に入って、そこでもマスクなし、帽子もかぶらずにいる人たちを、ずいぶん見てきた。
その地域から退出するときには、面倒なスクリーニング(汚染検査)を受けなければならない、手間をはぶきたがる住民も見ている。
こうした不用意な行動が、他所の人の目にはどう映るのかを、とっくりと考えてみてほしい。
被災地の人々が、もっとも淋しく感じる〈忘れ去られること〉、”風化”という酷な現実が、じつは、こういうところからジワジワと進んでいくのだということを。
「民族疲労」に言及したのは、つい先日、10月26日(月)のことだった。
(5年に1度の国勢調査、将来は難航が予想されるとか/調査員のしごとをおえて〝民族疲労〟を想ったログイン - はてな)
…けれど。
こういう、ささいな日常のことにも”甘え”が先だってしまい、”性懲りもなく同じ後悔を繰り返す”ことじたい。
やはり「民族疲労」にほかならないだろう、と感じている。