-No.0774-
★2015年11月04日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1700日
高倉健没から → 359日
★ オリンピック東京まで → 1724日
*福島第一原発事故から1700日が経った*
◆安達太良山の山麓
とてもいい噺があった。
大玉村という山村が、福島県にある。
といっても、その土地柄に関心のある人か、近在の方でもなければ、知る人は少ないにちがいない。
大きな地方都市でいえば、郡山市と二本松市との間。
東北自動車道だと安達太良サービスエリアがあり、東北本線なら本宮駅が最寄り、といえばまぁ最寄り。
北西に日本100名山のひとつ安達太良山を望む山麓にあって、東端を阿武隈川が流れる。
ほとんど高村光太郎『智恵子抄』の世界。
人口密度106人/㎢、村の木は松、村の花は桜、村の鳥は雉。
オープンデータで見る地域特性サイト「EvaCva」によれば、全国総合ランキングで1742市区町村の959位。
まぁ、これといって特筆するほどのこともない、ごくふつうにある村のひとつ。
山麓から少し登ったところに「フォレストパークあだたら」と称する県民の森があり、ここのオートキャンプ場はぼくもお気に入り。
山腹道路を北に少し行くと、二本松市になるが熱い山の湯、岳〔だけ〕温泉がある。
「日本で最も美しい村連合」に加盟(同県の飯舘村もかつての仲間)している…。
そんな、ありふれた東北の山村がこの10月26日に、あの超有名な南米アンデス山麓のインカ帝国遺跡、世界遺産「空中都市」のマチュピチュ村(ペルー)から、初の「友好都市」相手に望まれて協定を結んだという。
そのもとになったのが、野内与吉という人。
かつて〈移民〉として彼の地のわたり、いまから100年も前に初代村長になって発展につくした。
マチュピチュというと、まず”神殿”がイメージされるけれど、「空中都市」首都クスコの生活文化をささえるインフラ整備にも、世界が目を瞠らされるものがあった。
そのインフラ整備の推進にも、野内村長は功績が大きかったという。
その先輩村長の遺した事績の謝恩に、現在のマチュピチュ村長が、野内与吉のふるさと大玉村を「初の友好都市」相手に望んだという。
(野内与吉さん、本人は昭和44年に74歳で亡くなっているが、息子さんたち家族がいまも現地で活躍している)
「友好都市」の話しはいろいろあるけれど、これほどピュアなケースは稀…ではないか。
マチュピチュ村の標高2430m(当時の首都クスコは3400m)、安達太良山の標高1699.6m。
大玉村の人口8440人、マチュピチュの人口2500人(インカ帝国時代は最大でも750名ほどだったといわれる)。
わずらわしい〈雑念〉遠く、「ほんとうの空」高く、とてもいい噺に、気分がよかった。