-No.0764-
★2015年10月25日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1690日
高倉健没から → 349日
★ オリンピック東京まで → 1734日
*昨日深夜、気になる風が吹いた。さほど強くは感じなかったけれど、間をおいて颯颯っ吹きすぎる…ふと目覚めたきり、ついに眠れなくなったボクは3時半に起きてしまった。あとで、この冬の「木枯し1号」と知らされた*
◆発達障害のニッポン人
5月のゴールデンウィークに対して、シルバーウィークとかいう。
9月19日(土)から23日(水、秋分の日)までの5連休、その前に、なにがなんでも成立させてしまえと。
安保関連法案の採決が強行されたのが、19日未明のことだった。
そうして迎えたシルバーウィークの休日、朝。
函館の病院に緊急入院した兄の看病に、駆けつけて行くカミさんを東京駅に見おくり。
ボクは、重い心を抱いて、国会前を歩いた。
ボクの、これまでの言動を見てくれば、反体制と思われよう。
否定はしないが、じつは、それほど狭量でもない。つもりだが…
かつて、70年代の学生運動では「ノンセクト・ラジカル」と呼ばれる範疇にいた。
自分の考えはラジカルではなかったけれども、行動はラジカルだったかも知れない、とは思う。
地下鉄の国会議事堂前、駅地下から夏のなごりの陽ざし眩しい地上に出ると、そこは総理官邸前。
なにげなく近づいてカメラを構えたら、すかさず脇から声がかかった。
「観光ですか」と警備の若い警官。
観光?…ナニをいやぁがる、気分になりかかるのに手綱をしぼり、どうして目だってしまうのか…いまは反省のゆとりがあり。
「えぇ、まぁ」と、薄く笑ったつもりの、顔は憮然とているのが自分でもワカル。
国会議事堂の周辺は、おおかた想像されているより緑や園地が多く、空の高さにも恵まれている。
しかし、休日朝の散策やジョギングに訪れる人は少ない、そういうフンイキの界隈ではないのも事実。
学生の頃、国会前のデモ隊と警備陣と、いったいどちらに有利・不利なのかを思ったことがあるが、いまだにわからない。
予想したとおり、界隈にはアノ〈騒然とした情勢〉の現場を見物する人々の姿がたえず、いまどき外人観光客も多い。
正門前に居坐るパトカーと一緒に写ってピースサイン…の、心もちがどうしても、ボクにはワカラなかった。
国会前の大通り、前庭の緑陰も濃い歩道に、わざわざ事務用デスクチェアを持ちこんで新聞を読む人がある。
ボクなどの目には明らかに“胡乱”…にもかかわらず、警備の方々には、デモのプラカードほど“胡乱”ではないらしいのが、ホントに摩訶不思議な光景であった。
北側の前庭、洋式庭園のなかに憲政記念館がある。
行ってみたらなにかの工事中だった、せいもあろうが、なぜか内に入ってみる気にはなれなかった。
こんどあった一連のうごきのなかで、ボクは、とても失望感を深くしている。
それは、相も変わらずの〈対立の構図〉だ。
70年代とナニも変わるところはない。
期待した学生グループの「シールズ」にしても、とりあえず。
〈対立の構図〉の、一方の目新しさを代表したにすぎず、結果、主要メンバーの一人に殺害予告までうけた。
なぜ、意見を異にする人たちと、国会とは別の次元でいい、このさいつっこんだ討論の場がもてなかったものか。
それでは、70年代…いやもっとさかのぼれば、戦後すぐから延々とつづく〈対立の構図〉と、まるで変わらない。
いざ戦争となれば、同じ戦火のなかに身を投じなければならない、同じ世代が、〈対立の構図〉のままでありつづける不幸を、ボクは憂うる。
いまは政権を後押しするかたちになっている意見の人たちが、その政権によって現在の不遇があることを、なぜ共有できないのか。
安保論議には、護憲派にも、のりこえなければならない高いハードルがある、自衛隊という存在そのもがじつは解釈改憲ではないのか。
自衛隊の隊員(やその家族)に、戦争に行くことになるとは思っていなかった、などというとんでもない思い違いがあるのは、どうしてか。
たしかに、《11.3.11》はじめかずかずの災害救助場面での、粉骨砕身の大活躍ぶりに憧れて入隊した隊員も少なくないと聞く。
けれども、しかし、自衛隊の本分はあくまでも〈軍隊〉であって、災害救助は平時の援助。
戦火があれば、なにをおいても戦地に赴く、いやでも命がかかるのはとうぜんではないか。
真剣に「そうではないようにありたい」のであれば、そのような別組織を新たに設けるしかあるまい。
そういう討論、議論を、国会とは別のレベルで、国民的に行わなければならない、その時期にきているのではないのか。
文化人と称される方々が「戦争反対」の声を高く代表するのはいいけれど、どこまでホントの覚悟かを聞いてみたい。
それとは異なる意見の人たち(とくに若年世代)を、「わからない輩」と蔑すみの一括りでは、自身は戦争に行く心配のない上流保守層の冷酷な下流民無視と、結果かわることはない。
いま〈戦後(生まれて)70〉のボクが、あとの世代にし遂げてほしいのはソレだけだ。
「ラジカルではない、ノンセクトの人々による、真の民主主義を」
どうか、“発達障害のニッポン人”のままでは、いてほしくない…。