どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏⑧南相馬市小高区/  不通で無人の駅と住む人を待つ家と

-No.0687-
★2015年08月09日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1613日
    (高倉健没から →  272日
★オリンピック東京まで → 1811日

*長崎原爆の日………長崎の鐘が鳴る*






◆国道6号沿道ウォッチは、後日、再トライしたい

 7月16日(木)、雨。
 南相馬市に入って、通行禁止のバリケードは姿を消した。
 かわりに、津波に呑まれ洗われたままの荒れ果て光景が展開して、観念の磁石がくるくる空まわりする。

 常磐線の桃内駅は、高台にあって津波被災を免れていた。
 しかし、電車は来ない。
 〝不通〟の4年が過ぎて、丈高く繁り放題の草が、道から駅に上がる坂、階段、駅舎の関連施設などを覆い隠し、ホームも蔓草の勢いに負けて端まで行くことができず、その先は錆びたレールが緑の海に消えていた。
 ただ、架線だけが健気に弛みなく、開通の日を待つ風情に見えた。

 そこから、小高区の見知らぬ農村地帯へ、ナビを頼りに分け入った。
 「あてもなく」ということが、じつは、どれほど難しいことかを、旅人のぼくは、すでに十二分に思い知らされていた。
 よほどしっかりとした方向感覚と、土地土地の匂いを鋭く嗅ぎ分ける能力とをもちあわせていたとしても、いまの都会人は〝迷子〟の罠に落ちやすい。

 ぼくは、〝フクシマ原発事故後すぐから、南相馬市小高地区の山野に興味を抱いていた、けれども、なかなか手がかりがつかめないでいたのだ。
 たまたま、ぼくが講師をつとめるカルチャーセンターの木工教室、参加者のお一人の実家が小高区にあることを知って、申し訳ないけれども、頼りにさせてもらった。
 そのお家を訪ねるアテができると、気もちに張りも生まれるのだから、不思議なものだ。

 田園を縫って行く田舎道。
 目的地に接近したところで、ついに迷う。
 その辺りも「避難指示解除準備区域」で、大きな農家の多い門前といわず庭といわず、一面の雑草に覆われて表札も満足に見ることができない。

 ほど遠からぬ一軒のお宅に人影を見つけて、藁にすがる思い。
 そのお宅も、除染の順番がまわってきたので、泊りがけで立ち会いにきたところだとか。
 「除染しても、さてね、また元の木阿弥じゃないのかな…」と、顔をくもらせた。
 とまれ、事情をお話してやっと、目的の実家に辿り着けた。

 雨に煙る緑のなかの、家人のいない建物は寂しげに門を閉ざしていた。
 いまは避難先にいる実家のご母堂は、近隣の動向をみきわめて帰宅のつもり、ということだった。
 帰る家があることは大きな安心にちがいないけれど、女手ひとつの先ゆきが気にかかる。
 似たような事情が被災地全域に覆いかぶさっている。