-No.0682-
★2015年08月04日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1608日
(高倉健没から → 267日
★オリンピック東京まで → 1816日
◆富岡は負けない!
常磐線、次の夜ノ森駅も富岡町内。
「夜ノ森」の駅名は、もと”乗り鉄”のぼくには印象深い。
けっして暗いイメージではなくて、ファンタジックな物語を誘われる。
ぼくは、この駅のホームに降りたことはあるのだが、改札を出てはいなかった。
夜ノ森公園は桜並木の美しいことで知られ、原発事故の後も、新聞・テレビの報道に登場することが多い。
夜ノ森駅そのものも、ホームの両側一帯に6000株というツツジの花の名所でもある。
しかし、ぼくと「夜ノ森」の出逢いは祝福されていない。
去年2014春、常磐道富岡インターを下り、市街地への道を走ったら、大手を広げて立ち塞がるバリケードにSTOPをかけられたのが、夜の森の信号であり、そこから否応なしにグイと捻じ曲げられた行く先には、「通行許可証」をもつ者しか通さない検問所があって、ぼくは結局また富岡インターへと引き返さざるをえなかったのダ。
事情やむなし…とはいえ、気分はよくない。
状況は、この夏も似たようなものだった、けれど、国道6号が通じたことで常磐道との連絡がとれるようにはなっていた。
7月15日、午後2時すぎ。
台風の影響で、明日は雨になる予報だった。
ぼくはちょっと悩んだが、6号沿道ウォッチの動画撮影を中断、県道36号小野富岡線を西に向かった。
その先に、川内村がある…。
道筋には、帰還困難区域の通行止め”竹矢来”がつづき、夜ノ森の信号もそのままだったが、ふと、「通行制限中」の黄色い看板に「富岡は負けん!」、白いシールに住民の意志があらためて示されていたのが、新鮮だった。
町に帰った人か、帰る日を待つ人かは知らない、ともあれ人はいる。
ぼくは結局、夜ノ森駅には立ち寄ることなく…。
放射能汚染土を詰めたフレコンバッグの山、「除染作業中」の旗が風に揺れるなか、緑の草っ原を横目に富岡川を遡って行った。