どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

《11.3.11》福島巡礼2015夏①いわき市・波立海岸/ 人の暮らしが先…とはいえ停滞する”フクシマ”の現実

-No.0674-
★2015年07月27日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1600日
    (高倉健没から →  259日
★オリンピック東京まで → 1824日




*きょうは、原発事故の”フクシマ”から1600日。

◆ボクが福島へ出かけたのは7月15日のことだった

 このたび《11.3.11》東北巡礼は、夏のおわりに宮城・岩手行きのスケジュールがきまったので、福島行きはそれに先だって別だてにすることになった。
 夏の長期巡礼は、身体にこたえるせいもある。
 また、くわえて《戦後70年》の今年は、春も早々からの長崎、沖縄、そして広島と巡礼がつづいて、身も心も一種の飽和状態にあった…。

 台風が接近していて、荒天が予想されたけれど、予定を替えられなかった。
 他人ごとには「やめておけばよかったのに」などと、勝手なことを想うクセに、いざ自分のことになってみると「やむをえんな」となってしまう。
 人間なんて、つくづくいい気な生きものだと想う。

 あれから4年以上も経って、ようやく原発惨禍の福島に”見とおし”がたってきた。
 けれど、ざんねんながらまだ〈復興へむけての〉ではない。

 時系列でいくと…。
 2014年6月1日、常磐線広野駅から竜田駅(楢葉町)まで、わずか2駅8.5㎞ながら北へ進んだ。
 2014年9月15日、沿岸部の生命線、国道6号の通行制限が解除され、”通し”て行けるようになった。
 2015年3月1日、常磐自動車道がようやく全線開通した。
 これらの動きを、この目で見とどけ、わが心に染ませておかなければならない。

 現地でのスタートを(どこからにするか)。
 いつもボクは、まずみずからの脳裡に地図を描き、その上にタイム・スケジュールをかさねてから、地図帳でたしかめ、パソコンのナビ・ソフトで旅程をはじきだす。

 そうして決まったこのたびの、見参起点は波立〔はったち〕海岸。
 いわき市久之浜にあって、日の出の美しさで知られるところだそうですが、ぼくは知りませんでした。

 常磐道をいわき四倉インターで下り、四倉の漁港で国道6号に出て間もなく。
 小さなトンネル潜ったら出し抜けにすぐ…で、いったん通り過ごしてからUターンして戻りました。

 町田市のわが家からタップリ4時間以上かかって、到着は昼近く。
 夏休みモードの首都高で渋滞に遭い、まぁ、これはもう年じゅう覚悟のこと。万が一、すんなり抜けられたりすれば、それこそ奇跡デス。

 海上まぢかに波立弁天の岩を観る海岸は、ぎりぎりの国道ぎわ。
 波立薬師さんを祀るお寺の駐車場を拝借。
 寺の背後はシイやタブなど照葉樹林に覆われており、この海岸もご多分にもれず小さな砂浜の浸食後退が進んでいるようでした。
 
 国道を跨いで弁天岩へといざなう橋がかりは、《11.3.11》津波の被害でしょう、痛めつけられたままに放置されていました。
 あれから4年…よしてくれよ、と一瞬、理不尽の念を抱かされながら、でも、すぐに思いなおしました。

 ともあれ、とうぜん人が先…だよね。
 大きな収入が見込める観光の目玉とかなら別でしょうが、さもなければ、人・民の暮らしやインフラの整備が先決、風光を愛でる話はそれから、でやむをえない。

 ただ、これが他の東北2県、宮城・岩手とは、まったく事情を異にする福島県の辛くも酷なところ。

 原発事故という人為災害のために、ここではまだ”復興”の入り口にも立てずにいるのだ…という厳しい現実を、いたるところでつぎつぎに、まざまざと見せつけられる、このたびの巡礼の、まさしく端緒となったところでした。