-No.0615-
★2015年05月29日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1541日
(高倉健没から → 200日
★オリンピック東京まで → 1883日
◆昼休みあり…の、のどかな「渡し場」風景
「横須賀市観光定点カメラマン委嘱状」というのを受け取ったのは…。
沖縄にでかける前、4月1日のことでした。
去年の秋だったかに「募集」の案内を目にして、ちょっと気もちがうごいたんです。
ウォーキングと入浴保養を兼ねての観音崎通いが、月に2度くらいのペースでつづき始めた頃でした。
写真撮影を趣味にする人はかなりの数にのぼり、プロ顔負けのマニアも少なくないご時勢。
浦賀水道を往き来する船をねらって、観音崎に集まるファンも少なくない。
だから、地元住民と熱心なファンとで、まぁ間にあってしまうのだろう…と、こちらは半分”ダメもと”のつもりだったのですが。
市長の公印が捺された文書が、来てビックリ。
委嘱期間が10年というので、2度ビックリ。
(あたしゃ80まで…ってか)
ともあれ、横須賀市内で観光のポイントになりそうな地域7つを選んだなかから、1地域を担当してほしいとのこと。
ぼくの担当はもちろん、応募したときにも希望しておいた「走水、観音崎、浦賀」地域。
春夏秋冬、年4回の撮影をして、10月と4月に提出する作品の、著作権は横須賀市に帰属する…と。
そのへん、あんまりキュウクツに考えるとヤッカイなので、(できるかぎりの範囲で)と、わりきらせてもらうことに。
……てなわけで。
沖縄から帰って、まず出かけたのが「浦賀の渡し」。
浦賀港の奥深く(およそ1.5キロ)、ドックへと縊れこんだ湾入は、グルッとまわったなら面倒至極なり、「小舟の渡し」にはおあつらえ向きの地理になっています。
その、ちょうど縊れのあたりを結んで、「浦賀の渡し」があることは前から聞いていたのですが、なにしろ平地少なく、道狭く入り組んだ半島の沿岸。おいそれと車を停めることさえままならないので、なんとなく敬遠ぎみにうちすぎてきたのでした。
案の定、駐車場を見つけることから苦労して、辿り着いた西浦賀町側の乗り場は、消防署と交番のすぐ脇。
小さな浮桟橋へと下りる、細い橋掛かりには定員3名までと注意書きがあり、さらに「ご乗船の方はこのブザーを押してください」と小さな掲示がありました。
見れば、対岸東浦賀町側の岸の浮桟橋に、オレンジがかった紅色の小舟がいる。
この渡しは、どちらかの岸に乗船する人があらわれるか、あるいは乗船を申し出るブザーが鳴るかで、動くことになっているようです。
ちょうど、こちらの岸に、”横須賀散歩”風情の女性がふたり、やってきて遠慮気味にボタンを押してくれます。
すると、うまいぐあいに向こう岸にも、折よく乗船客の姿が浮桟橋にあらわれ(それらが手にとるように見とどけられるの)…。
まもなく小舟が動きだしました。
幕末、黒船の来航や咸臨丸の出航など、などで世間をわかせた浦賀の港。
ここに渡し舟の歴史は、浦賀奉行の置かれた頃(1725年)にはじまるらしいんですが、明治9年には民営の渡船ができ、その後、官営にひきつがれて、現在は横須賀市営の民間委託事業になっておりまする。
むこうから、静かな港内の水面を滑るようにやってくるのは、就航120周年を記念して平成10年に新造されたという「愛宕丸」4.8トン(全長は9メートル)。強化プラスチック製の御座船風…のふれこみ。
「ぽんぽん船」の愛称があるそうですが、ボク中度難聴者の耳には音もなく、水上の市道(2073号)”浦賀街道”を渡ってするすると近づいてきます。
あらためて見上げる、浦賀の渡しの高札。
料金は、大人150円、小・中学生、自転車・ベビーカー・犬50円、障害者は無料、その介護者は50円、と定められ。
就航は、朝7時~夕方6時まで、昼休み12時~13時まで、というところがイイねぇ。
休航は、年末年始(12月31日~1月3日)と、荒天のとき。
まもなく浮桟橋に着いた船に、乗り下りの一時があって、また愛宕丸はするすると水上のミズスマシ…とあいなります。
こちとら車なので、乗ってみるのは、またのことにして。
袋網のごとくなった街筋をグルッとまわって向こう側、東浦賀町の方に出たら、もう、さっき渡しに乗って行った女性たちが、バス停に立っておりました。