-No.0596
★2015年05月10日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1522日
(高倉健没から → 181日
★オリンピック東京まで → 1902日
◆げんきな年寄りと立派な墓と…
昼どきをすぎて、腹は減っていたけれども。
「いいかな…行こうか」
ぼくは、助手席に声をかけ、レンタカーを発進させた。
朝早く嘉数高台公園から普天間飛行場のオスプレイをにらみ、旧海軍司令部壕、喜屋武岬、琉球ガラス村、ひめゆりの塔、そして平和祈念公園と、みっしりタイトなスケジュールをこなしたあとには、ちょっとしたギア・チェンジが必要になっていた。
南部の丘を東へ走る。
短い橋をわたって訪れた奥武島〔おうじま〕は、海人〔うみんちゅ=漁師〕の島。
休日になると、新鮮な海の幸をもとめて多くの人がやってくる。
ちょうどモズクが旬の季節で、生のモズクはこの時季にしか食べられない。
その生モズクたっぷり、沖縄てんぷらの店に行列ができていた。
その場で揚げてもらったのを、熱々のうちに食べるのが「サイコー」と親指サイン、「おぃひぃ~!」と笑みこぼれるカップルにも魅かれた。
ぼくらも生モズクとアーサー(アオサ)ほか、幾種類かのてんぷらをもとめ、ついでに地魚の刺身もゲットして、港でほおばる。
沖縄のふっくりモズクは味がよいことは知っていたが、「もずく酢」が定番、てんぷらは初めて、目のさめる味わいだった。
ぼくは、沖縄の午後を走った。
〈ニライ橋・カナイ橋〉と名づけられた、大海原にフワツと浮き立っていく感じの道路があった。
「ニライカナイ」は、奄美・沖縄地方で信じられてきた神の世界、東方の海の彼方にある豊穣と生命の根源の聖域。
知念で南部の丘から東海岸へ。
賑やかに開けた西海岸にくらべて、こちらにはまだ故郷色が濃かった。
それでいて、まばらではあるけれど、町には町の賑わいがある。
メリハリがある。
やはり、年寄りの姿がめだつが。
足腰のしっかり丈夫な、存在感をもつ人が多いように思う。
沖縄では、〈亀甲墓〉と呼ぶ、大きくて立派な墓もめだつ。
墓地がまた、ずいぶんいい場所にある、角地にある、海の眺めのいいところにある、宅地なんかより高そうな…一等地にある、なにしろ東京モンの感覚でいけば「えっ」というような場所にあるのだ。
そうだ、沖縄には「家のお墓に入りませんか」という口説き文句があったくらいだ…と、聞いたことがあった。
げんきな年寄りがめだつことと、立派な墓がいいところにめだつこととは、つながりがありそうだった。
それはきっと、死者をだいじにするというよりも、生死にかかわらず命をたいせつにすること、に違いない。
それが〈平和の礎〉にまでつながっている…。
東海岸を中部まで。
うるま市の海中道路を、平安座島・宮城島・伊計島まで往復して、さすがに心地よい達成感があった。
西海岸へ、残波岬まで戻る。
地図で見るほどの距離感はなかったけれど、連泊になるホテル日航アリビラに着く頃には、さすがに暗くなっていた。