-No.0587-
★2015年05月01日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1513日
(高倉健没から → 172日
★オリンピック東京まで → 1911日
◆薄暮、小ぬか雨の普天間飛行場
4月13日、不安定な春の空、途中に気流の乱れなどあったようで、沖縄行きのジャンボ機は飛行に手間どった。
着陸態勢に入ってからも、なにか知らんあったようで(これが空の旅のフアン…)、那覇空港への着陸は1時間半ほど遅れて15時すぎ。
ホッと、ひと息の空港ロビー、〈沖縄そば〉で小腹ごしらえ。
空港が整備工事をしているとかで、臨時に移転中のレンタカー事務所までマイクロバスで移動。
旅行客の多くがレンタカーを利用する沖縄、手続き・配車の順番待ちもあって、街に出られたときには、もう午後4時をまわっていた。
しかも、折から雨模様。
予定変更はやむをえないし、すでに、ふつうなら宿のチェックイン・タイムだった。
けれども、ぜひとも見とどけておきたいところがあった。
カーナビに行き先を入力したが、うけつけてくれない。
名称のほかは、所在住所・電話連絡先もわからない。
やむなく、近辺と思しきところを目的地に指定して、紆余曲折の末、ようやくにたどり着く。
すでに薄暮の、夕刻5時すぎ。
嘉数〔かかず〕高台公園の、小ぬか雨に煙る広っぱでは、遊びざかりの少年たちがサッカーボールを蹴っていた。
(このとき気づいた、カーナビがうけつけなかったわけ、それは「高台」をただの「台」と思い違いしていたからで、カーナビは正式名称でないとケッシテ認識してくれない、予測検索なんてとんでもない仕組みなのだった…)
写真撮影にも限度ぎりぎりの状況、高台にある公園の、さらに高みへと100段以上はあろうか、急な石段を、傘を片手にボクは懸命に攀じ登った。
「オキナワへは、観光に行く気にはなれませんものね」
出かける前、同世代の女性がいっていたコトバが、耳の奥にくりかえし想いだされた。
展望台に立つと…。
すぐ眼下、真っ正面に延びる軍用滑走路、普天間飛行場のエプロンに、出番を待つ俳優さながらに控えているものが望まれた。
(オスプレイ!…)
すっかり映像では見慣れた、しかし実物を見るのは初めての特殊な機影が、これが軍隊の規律であろう、3枚翼の1枚をキチンと上向きに揃えて隊伍を組んでいた。
(いま、たしかにオキナワにいる)
そのことをしっかりと、わが魂〔まぶい〕に言い聞かせて、ぼくは宿へと向かった。