-No.0563-
★2015年04月07日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1489日
(高倉健没から → 148日
★オリンピック東京まで → 1935日
◆これで長崎巡礼を終える
翌朝、宿に頼んでおいたタクシーで帰路につく。
「MRの駅ですね」
運転手さんに確認されて、一瞬、ぼくはツマりかけた。
MR…すなわち松浦鉄道の略称だった。
「どちらから」
「東京です、いまから帰っても着くのは夜になるんだよね」
「へぇ…そうですかぁ」
「たびら平戸口」の駅前には、「日本最西端の駅」という木の標柱がある。
ぼくが「片道最長キップ」65日間の旅をした昭和47年、かつての国鉄時代、この駅は「平戸口」の名で、隣りに「田平」駅があったのだ。
国鉄からJRへ、そして第三セクターへと変遷していくなかで、駅の数もふえ、それにともなって駅名の付け替えなどもあったのだろう。
伊万里を経由して、有田までが松浦鉄道、これで松浦半島を周遊したことになる。
有田の駅で、博多行きの特急列車を待つ間に「有田焼カレー」の駅弁を見つけた。
乗車してすぐ、まだ温かい弁当をひらくと、中身は”有田焼”の陶の容器に入った”焼カレー”。弁当の名称が懸詞になっているのだった。旨かった。
列車が、まぁ、よく揺れる。
来る時にも感じたことだが、とにかく目いっぱいのスピードで突っ走っているのがわかる。
北陸新幹線の開通で、また新たな高速鉄道網の前途がひらけたのはいいが、いっぽうでは在来線の不遇にますます拍車がかかる、老朽化もすすむ。
それでも新幹線にならってスピードアップが追求される、結果、JR北海道であったような事故や不祥事の心配がふえる。
現実、4月になったばかりの津軽海峡線の長大トンネル内でも、車両火災という怖い事故があったばかりだ。
いま、豪華列車の投入でウケにいるJR九州。
在来線にも、さまざまなアイディアがもちこまれているのは評価できる、けれど、どうか保守メンテナンスの方も怠りなく、願いたいものだ。
いまのスピードは、在来線レールの限度ギリギリまで来ている、と感じられる。
関門海峡を越えて九州をあとに。
東京行きの「のぞみ」車内の電光掲示板に「山陽新幹線全線開通40周年」の文字が流れる。北陸新幹線開通で奪われる客足の、減少幅をできるだけ少なく喰い止めたい、のはとうぜんダ。
姫路城公開まぢか…の知らせも流れ(いま現在はすでに公開中)、”夢の超特急”は春よとどけと突っ走る。
(それにしても寒い3月はじめの長崎巡礼ではあった…)
*写真=上段は、松浦鉄道「日本最西端」たびら平戸口駅にて*
*写真=下段、(左)は有田駅の駅弁「有田焼カレー」、(右)は車輛の半分が指定席という変わり種JR九州の車輛*