-No.0561-
★2015年04月05日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1487日
(高倉健没から → 146日
★オリンピック東京まで → 1937日
◆「オルレ」と呼ぶ”田舎道ハイク”
「オルレ…歩く人、いますか?」
平戸港交流広場の観光案内所で訊ねたのは、呼び名に馴染みにくさが感じられたからだった。
「はぃ、お天気がよくなると、若い方たちがね」
係の方の応えはソツがなかったけれど、今朝、宿のフロントでは「はぁ…」と怪訝な顔をされた。
まだ、知名度は(これから)ということらしい。
「オルレ」は、〈田舎道を歩く韓流ハイキングあるいはトレッキング〉のこと。
「ありのままの自然や地元との交流を楽しめる」というので、済州島でブームとなり、年間200万人の観光客を集める人気だそうな。
九州の観光関係者が、それに着目、導入したという。
いま現在、沖縄を除く7つの県に、12のコース。
設定されたうちの一つに、平戸コースがあった。
ぼくが、この情報に接したのが去年の夏、そのときから長崎へ行ったら体感してみようと思っていた。
……というのは。
《11.3.11》の被災地東北巡礼をつづけるなかで、ボクにはヒトツの募る想いがあったから。
それは、イザというときのためにも、それだけの体力をたもつためにも。
〈その土地の、最寄りの高台へ歩く道〉を用意しよう。
〈避難路ではなく、楽しく、励みにもなる道〉として。
そのヒントを、探したかった。
◆案内標識
平戸コースは、交流広場をスタートして町中を歩き、上りにかかって最初のチェックポイントが、1.2キロ先の最教寺。
”西の高野山”とも呼ばれるこのお寺は、節分の「小泣き相撲」行事で有名になったところ。イベント当日は、殺到する訪客の車を整理するのに「大変なんダ」と、檀家の古老が笑っていた。
「オルレ」の案内標識は、ざっと4種類。
〇道端の樹の枝などに吊り下げられる”青と朱赤のリボン”
〇”カンセ”と呼ばれる馬をモチーフにしたオブジェ
〇”木製の矢印”
〇自然の岩などに印される”ペイントの矢印”
視認性はいいと思う、けれども、”木製の矢印”には方向の指示が適切でないものも見られた。たぶん、誰かのいたずらだろう。
山の道標にも、ときおり疑わしい向きのものを見かけた覚えがあり、これは気をつけて管理しないと迷子の恐れがある。
◆川内峠の高みに立つ
コースはここから、4.7キロ先の川内峠へと上る。
標高は200メートルほどだそうだけれど、ここまでおよそ2時間、ぼくなんかにはけっこうキツイ。
峠の頂上には、お馬さん型を模した“カンセ”。
九十九島などグルリ360度の眺望、”高み”に立つ魅力は素晴らしい。
東側には、「川内かまぼこ」で有名な浜の集落が望める。
つい先日〈山焼き〉がすんだばかりという斜面には、もう緑の草が芽生えてきていた。
けれども…。
このコースはこれで、まだ半分にもならない。
全コースを歩くと13キロ、トレッキングといっていい4~5時間の設定だった。
ぼくが頭に描く”命山”を歩くコースとは、ちょっと違う。
子どもから年配者まで、気軽に楽しめるものでありたい。
(距離がありすぎるな)と感じたボクは、ここまでにして町に戻った。
◆寺院と教会の見える道
平戸〈らしさ〉あふれる景観といえば、やはり、古里日本にエキゾチックなふんいきを交えた田舎町のありよう、だろう。
ちょうど坂の中腹から上のあたりに、町自慢の〈寺院と教会の見える道〉があって、オルレ平戸コースでも終盤の見どころになっている。
歩くと(これだけで充分すぎる)くらいに足腰にコタエる。
1931年の建築というゴシック風、平戸ザビエル記念教会まで休み休みまわってくると、下から息をはずませて上がってきた中年の女性、二人連れの一人に「まだ、だいぶ歩きますか」と訊ねられた。
「オルレ」とは趣きのことなる、ボクのコース設定でいけば、港からこの辺りまでを巡るのが適当。
万が一の時の避難場所にもよさそうだった。
「ぽく・びゅー」
なんて呼び名を、なんとなく、ぼくは脳裡に泛べていた…。
*写真=上段は、〈寺院と教会の見える道〉で見た”木製の矢印”など、「オルレ」の案内標識いろいろ*
*写真=中・上段は、「子泣き相撲」で知られる最教寺*
*写真=中下段は、川内峠からの眺望と「オルレ」の案内標識”カンセ”*
*写真=下段、(左)は寺院と教会の見える道の風景、(右)は平戸ザビエル記念教会*