-No.0556-
★2015年03月31日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1482日
(高倉健没から → 141日
★オリンピック東京まで → 1942日
◆なぜ長崎だったのか…
ぼくは、野母崎からの帰路も、上空からの俯瞰イメージで市街をめざした。
天気が回復して、陽がさしてきたのも幸い。
ぼくたちはそのアシで、稲佐山へと駆けあがる。
標高333メートルにある展望台は、長崎の夜景ポイントとして有名だけれど…ぼくにはぼくの目的があって、その望みにもみごとに応えてあまりある眺め、まさしく絶妙。
野母崎から追ってきた俯瞰イメージを、そのままに引き継ぎ、長崎港の湾入から、浦上川を遡っていく流れの先まで、おおきく見晴らし見通すことができた。
なぜ長崎(に原爆が落とされたの)だったかは、いまも確証がない。
それは、広島についてもおなじことがいえるのだけれど。
さまざまに推測される理由、その根底にあったのは「新型爆弾の威力のほどを知りたい」ということ、だったろうと思われる。
そのために、これまでの空襲被害(アメリカからの加害)の少ないところが好都合だった。
くわえて地形も、周囲を山地にかこまれた川口集落のような成り立ちがいい。
(広島も、三角州に開けた”水の都”だ)
ついでに、軍事施設や軍需工場もひっくるめて叩いておきたい。
すでに制空権も制海権も奪取した戦争末期の、ニッポンに戦意喪失の最後の大打撃を…ともくろむ、これがアメリカの狙いであったろう。
ほかに、小倉や新潟、横浜や京都なども一時は候補にあがっていたのだ。
他所でもよかったのに、終には選ばれてしまった…。
戦争というものが、かくも苛烈に人を追い詰めつくすこと、完膚なきまでに相手を打ち倒さなければおさまらない惨澹に、コトバもなく、ただ心ふるえる。
原爆投下は、好天の日が選ばれた。
8月9日の昼前。
長崎港上空から進入した爆撃機は、浦上川を見すえて飛んだろう。
原爆投下の位置やタイミングには厳命があったろうが、操縦士も人の子。
真夏のつよい陽ざしを照り返す川すじの美しさに、思わず魅入られたのではなかったろうか…。
投下後の原爆炸裂を、操縦士はどのあたりから、どんな思いで見たのだろう…。