-No.0555-
★2015年03月30日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1481日
(高倉健没から → 140日
★オリンピック東京まで → 1943日
◆レンタカーで野母崎へ
このたびの長崎巡礼記、着いた日の午後から翌日いっぱいまでで、もう11回ですか。
けっこうイケるもんですね…じぶんで感心してれば世話はない。
じゃ12回め、いきます。
翌朝、長崎駅前のレンタカー営業所へ。
車の予約は出かける前にしておきました。
長崎市街の南南西に突きだす野母崎に行ってみたかった。
”海人間”のぼくは、岬のような出っ張りがあると、どん詰まりまでいきたい誘惑に駆られます。
ぼくにとってのパワー・スポットは、水際と水平線の間にあるらしいからですが…もうひとつには、飛行機のパイロット目線から見たときの、野母崎から長崎市街にかけての道筋(空路)のありようを想像してみたかった…。
市街の車の動きを見ていて、「長崎の人もけっこうせっかちらしい」と踏んでいたぼくは、いつもより慎重派のドライバー。
他所者ならとうぜんだったし、ついでに借りた車が、たまたま新車の小型。
雨はあがっていましたが、曇りがちな空、吹く風はまだまだ冷たかった。
30分ほど走らせて、三菱造船所のある香焼〔かやぎ〕の鼻をすぎると、西の海に、以前ヒラメの養殖を見学に行ったことがある高島、その先に”軍艦島”とも呼ばれる端島が車窓に寄り添ってきます。
ぼくは車を走らせながら、心の目は空から下界を俯瞰しています。
すると、思ったとおり、針路としてはじつに明瞭で気もちがいい。
そうです、ぼくは、1945年8月9日の昼前、重い原子爆弾を腹に抱えた爆撃機が進入してきたコースを想っていました。
実際にはどうであったか知りませんが、重大な局面、緊迫した状況での飛行に、こむずかしい針路指示はない、でしょう。
野母崎は、花の季節なら別でしょうが、これといった趣はないところ。
観光バスのコースには、なっていないワケでした。
それでもぼくは、権現山の上に立つと、沖を眺め、振り返って長崎市街の方角へ視線をなげました。指差しこそしませんが、”確認”です。
そこには、主要各方面への距離標柱があって、それを見ると〈札幌と香港〉〈台湾と東京〉がほぼ似たような距離にあって、沖縄のほうが東京よりも近かった。
五島灘と天草灘とに挟まれた野母崎の台地から、遥かに眺める海原は東シナ海。
その南には、太平洋との間に、沖縄へとつづく南西諸島の連なり。
この、ユーラシア大陸に沿って点々と咲くかのごとき島々の連なりは、かつて花綵〔かさい=はなづな〕列島とゆかしく呼ばれたこともありました。
台地上には中型くらいの梵鐘もあって、自由に撞いてかまわぬ、と。
まわりには迷惑になる民家もなし。
ボクは思いきって3点、撞かせてもらいました。
浦上天主堂の鐘とはちがって、おもいけれども海風にも吹き飛ばされない性質〔たち〕の、いい音色が響き渡りました。
ぼくは、ひとり勝手に、ナットクしていました…。