-No.0553-
★2015年03月28日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1479日
(高倉健没から → 138日
★オリンピック東京まで → 1945日
◆”国宝”大浦天主堂の貫録まざまざ
昼食休憩の間に、外の雨は小降りから本降りへ、雨脚の筋が見てとれるほどになっていた。
…でも、予定変更は惜しいし、たしかめておきたいこともあった。
それは、”坂の街”の実感。
ホテルの窓から眺められる風景や街中の散策、浦上あたりの逍遥では、やはりものたりないものがあった。
かつての記憶にのこる長崎は、キツイキツイ”坂の街”。
喘いで喘いで、しばらくは脇目もふらずに上って、振り返ると「お~ぅ」と思わず歓声の海景が眼下にあったのダ。
近所に住むらしいお年寄りが、彼女は息も切らさずに、こっちを見て笑ってござった…。
それが、グラバー邸へとつづく坂道だったと思う。
市電は、観光の若者たちで混んでおり、どうやらすでに春休みシーズンらしかった。
市内でも随一といっていい観光名所は、けっこうな坂道には違いなかったけれども、洋風に気どった造りの敷石道は、すでによくできた舞台装置の感があった。
国宝の大浦天主堂にいたると、傘の列が前庭に群がり、三々五々、石段を上り下りして、たいした人気、人気が人気を呼んでいる。
堂内を観覧する人のかずも、浦上天主堂とはくらべようもないほどに多かった。
ぼくらが訪れたのち、大浦天主堂では3月17日に、宗教上の奇跡ともいわれる〈信徒発見〉から150年の記念ミサがおこなわれた、という。
天主堂の脇からグラバー園へとつづく。
便利なようで、けじめのつかなさが気になりもする。
…が、それも若者たちにはおかまいなし、らしい、仲間とわいわい喋りながら、そこがどこであろうと、いつも自分たちの世界にいる。
”グラバー園”は、かつて外国人居留地だった南山手の高台に、市内にあった洋館8棟を移築した公園のことだけれど…。
ぼくが前に訪れたときは、”グラバー邸”。こんなに広大でなく、シンプルにあった。
傾斜地にかわりはないわけで、しかし、そこにいまはエスカレーターが設置され、らくらくと上がった高みから下りつつ巡れる仕掛けで、親切ではあるが、港を見下ろす高台に居をかまえた”異人さん”の心境に思いをいたす、情緒は霧と消えた。
濡れた靴あとの乱れる洋館の床も、それだけでずいぶん、みじめな気分にさせるものなのを、園を管理する方はお気づきにならないのだろうか…。
”坂の街”感覚は、あきらめたほうよさそうだった。
みやげもの館に誘導されるのを嫌って、裏口から外に出て。
ふと脇を見ると、古く狭く忘れ去られたような、石段がそっと下っているではないか。
「あったぁ、これこれ、こんなだったんだよねぇ」
ぼくは思わずはしゃいだ声になって、かみさんを振り返ると、トントン下の浜通りへと下って行ったのだった…。