-No.0552-
★2015年03月27日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1478日
(高倉健没から → 137日
★オリンピック東京まで → 1946日
◆空気が”70年安保”の頃に似てきた
沖縄がきな臭いことになってきて。
全共闘世代のボクには、”70年安保”の頃の世情を臭わせるものがあって、眉が曇る。
翁長沖縄県知事が辺野古(海底ボーリング調査の)作業停止を指示。
知事は、許可取り消しも検討、この事態に「腹をくくった」という。
”生半”のことで、できる発言じゃない、キッパリ決断に違いない。
対する政府は「不服申し立て」。
威丈高に「来るなら来い」といわんばかりで、その態度はおよそ民主主義のトップにはふさわしくない、「俺のいうことに逆らう奴は許さん」式、独裁者の姿にほかならない。
さきの知事選、つづく衆院選にあらわれた民意を、どこに置き忘れたのか。
ついでに(またかよ…)という疑惑が、辺野古の新基地に建設される護岸にもちあがってきた。その長さが当初案から変更され、強襲揚陸艦も接岸できる規模になっている。という。そうなれば飛行場兼軍港になる。
なんで、そこまで沖縄を痛めつけようとするのか。
内地に痛み分けもできない、というのは、どういうことか。
「反対されるにきまっているから」というのであれば、だから「沖縄だって反対している」のに、「しょうがない、なりゆきなんだから我慢しろ」という。
いくらなんでも、それはない、それだけは許されない、でしょう。
これまで頼りにしてきた”海保”が、反対派の人々に牙をむいた不安もあり。
(じつは”海保”だってオカミなんだから、そういうものなんだけれど…)
このままでは、いずれ”流血”の事態にまでいきついてしまいそうで、やりきれない。
ぼくは、4月に沖縄巡礼を予定しており、辺野古の現地も訪れてみるつもり。
そのとき、どうなっているか、どうなることかの、予測もつかない。
沖縄の地方紙、「沖縄タイムズ」「琉球新報」の紙面にくらべると、在京・全国紙の扱いにも落差がある。
(きょうの紙面は、とりあえず春の選抜「糸満、破れる」の甲子園記事で、一息ついた格好だが…)
やっぱり遠いな、沖縄は。無理に遠すぎる気がしてならない。
なんとかなるものなら、独立したほうがいい、させてあげたい。