-No.0541-
★2015年03月16日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1467日
(高倉健没から → 126日
★オリンピック東京まで → 1957日
◆熟しきった柿色の…
雨、降りやまず…。
長崎原爆資料館へ。
〈強制的に囲いこまれる〉感じにコシラエられた、博物館とか資料館とかが、ぼくは苦手だ、どうにも息がつまる。
ぼくが望む資料館や博物館は、オープン・エアなもの、展示エリアと外の空気(空や土)とが連続して、出入りを繰り返せること、自由に行き来できなければ、感受性も息詰ってしまう。
だって、そうでしょ。
感動がある…と、だれだって天を仰ぐ、そこには無粋な天井なんかじゃなく、空がなければならないんデス…晴れてなくても、雨でも、風でも。
気が散るから…って、マジメな人は、閉じ籠めようと考えますが。
感動って、気がハジケ散るものですよね、辛気臭くうつむくもんじゃない、思いっきり気を散らした後に、のこるものがあればいい。
……ボクだけ、ですかね、そんなふうに感じるの。
ですからぼくは、かなわない望みを封じ籠めて、館内の静粛な展示の見学に耐えます。
韓国からの、観光客らしい一団がありました。
(観光なら他所へ行けば)よさそうに思えるのですが、やっぱり原爆のことには興味があるのでしょう。
かの国の人々には、なぜ日本人はアメリカを恨まないのか、といった感想が少なからずあるらしい。
ワカラナイ…ではありません。
その彼らが、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の模型の前で、入れ替わり立ち替わり記念撮影をする、さすがに遠慮気味ではありましたが。
ぼくは、かの国の一団をやりすごす間、落下炸裂の瞬間11時02分で止まった柱時計に見入っていました。
(お~~~~~~~ぃ)
と、分厚い紗の壁の向こうからのような、声がしました。
《11.3.11》のことがあってからは、なくなっていた声でした。
呼びかけるでもなく、呼びかける声。
やっとこ脱けだせたか…と思っていた声が、還ってきました。
「熟しきった柿色の…」
小学生のぼくが読んでいました、じぶんの詩を、原爆の空を。
「きみが生まれる前のことだね」
あとで先生がいいました。
それからしばらくの間、ぼくはみんなから「うそつき」「きちがい」呼ばわりされたことを、さっき、館の入口へと下りてくるスロープの途中から見た窓の色に、想いだしていました。