-No.0443-
★2014年12月08日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1369日
(高倉健没から → 28日)
★オリンピック東京まで → 2055日
*きょうは「開戦記念日」。1941(昭和16)年12月8日、日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まった。ボクが生まれる4年前だった。来年は〈戦後70年〉、ボクも70。もはや忘れ去られた戦争の記憶…と思しき排他・好戦ムードがきな臭い。ところで、アメリカでも「リメンバー・パールハーバー」はすでに忘れ去られているのだろうか…*
◆鳩時計が「カッコ~」と鳴く閑けさ
靖国通りと千代田通りが交差する駿河台下、神田神保町1丁目の一郭に「ちょっとイイ」感じの喫茶店を見つけた。
お客さんが10人も座れば満員の、小さな店の壁いっぱいに、「ポッポ~ポッポ~」の鳩時計がいっぱい。
一心に読書にふける婦人あり、コーヒーカップ片手に思索のひとときをたのしむ青年あり。
音楽はない、いらない。
昼どきの、ゆったりと上質な時が流れる。
「ポッポ~」と短く鳴く声がする。
思わず(どの鳩が鳴いたのか)探す目になったが、わからない。
すべての鳩時計が、いっせいに時を告げるわけでもなかった。
どうやら時計の針は、適当にずらしてあるらしい。
時計がいっぱいなのに、そこに時はない。
文字盤や針は、さりげなく、鳩時計は時を忘れさせるための装飾。
ほかの客は、だれも鳩時計の告げる時を気にするふうもなく。
読書の夫人は、自身の腕時計をちらとたしかめて、席を立った。
カフェバー&鳩時計ギャラリー「シュバルツバルト 神保町」。
いうまでもなく、時計会社の商品展示を兼ねた休息タイム提供空間。
古書店街として知られつづけた神田神保町という、クラシカルな街にギャラリー・カフェを開いたオーナーの趣向やよし。
この街には、すっかりファスト・フード化してしまったティータイム、〈上質〉な憩いのひとときを客とともに守ろうとする、喫茶店の老舗がいまも多い。
神田神保町、そこはかつて長らくボクの“土俵”であった。
この街に事務所を開く動機づけのひとつに、じつはそれ(ティータイムのすごし方)があった。
「シュバルツバルト」の壁に並ぶ鳩時計の、価格の表示をあらためて見ると、思ったより高価ではなかったことにも、ぼくはおどろく。
ボクの少年時代、鳩時計があるお家は上流階級。お医者とか資産家の持ちものであった。
家が大きいこと、空間にゆとりがなければならなかった。
それから半世紀以上の時を経て、世情のさまざまな変化が、ぼくに、鳩時計を身近なものにした。
両親に連れられて来ていた男の子が、目を輝かせて「時のない時」のなかにいた。
両親に、(鳩時計をわが家に)という想いがあるのかどうか。
モノのない時代に育ったぼくには、時代は変わってもモノがあふれて空間貧乏のいまが、嘆かわしい。
「片づいて暮らす」ことを心がけてきたボクは、空間貧乏ではない自信があったのだ、が…。
よくよく考えてみると、まだ、鳩時計にふさわしい壁までは確保できていないことに気がついた。
鳩時計がまた鳴いた…その声は、「ポッポ~」ではなくて、じつは「カッコ~」なのだった。
時を告げに扉から顔をのぞかせる鳥の姿も鳩とはかぎらない。
つまり、「鳩時計」というのはいま、このような仕掛けで時を現実から遊離させ、〈上質〉な時の流れに変えて見せるモノの、一般名詞なのだった。
それにくわえて、昔は下がった鎖でゼンマイを巻いていた仕掛けが、いまはただの松ぼっくり状装飾付き鎖になっていた。
クオーツまではいいだろう…けれど、デジタルになったらもう、鳩時計の立場はない。
「ただいま時刻」を告げるだけの時計に、鳩時計の〈上質〉な時の流れは、ない。