どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「ザハ・ハディド」のイメージ世界をまのあたりに/かわき…船…みずみずしさ…がキーワードであった

-No.0441-
★2014年12月06日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1367日
    (高倉健没から →   26日)
★オリンピック東京まで → 2057日






◆ハディトの挑戦にどう応えるか

 新宿の東京オペラシティー・アートギャラリーで「ザハ・ハディド」展(12月23日まで)を観てきた。

 いうまでもない、〈新国立競技場〉国際デザイン・コンクールで最優秀賞に選ばれ、神宮外苑という立地環境との整合性や、2020TOKYOオリンピックの開催理念にまでおよぶ、さまざまな議論を湧かせることになった、あの人の個展である。
 〈個展〉の似あう建築家というのも、珍しいのではないか。
 (ぼくは、建築デザインについては門外漢といっていい)

 ともあれ…。
 ぼくは、日本の、神宮外苑の、新国立競技場に似あうかどうかとは別に、めちゃオモシロイと思った。
 とても刺激的な昂奮にみちたデザインだったから、(どんな人なのだろう)興味があった。
 きっとそういう向きの方も多かろうと企画された個展なのである、見のがせない。

 じつをいうとボクは、新国立競技場デザイン・コンペのハディド作品、無数の灯りに彩られた完成夜景図を見たときに、「あっ」と想いだしたのが『アラビアンナイト』、『千夜一夜物語』の挿画世界であったのだ。
 (ぼくの親父は、いまでいう読み聞かせパパで、寝床に入ってさまざまな本を読んでくれたのだが、そんななかでも興味津々だったのが『アラビアンナイト』)

 ザハ・ハディド(1950~)がバグダッドイラク)生まれ、ロンドン在住というのを知って、ぼくのイメージはある特殊な色彩をおびた…といえる。
 たしかに、そういう先入主があって展覧会を観たことは、お断りしておかなければならない。

 けれども、それでも、彼女の〈個展〉は、そんなぼくのイメージをこころよく受け容れてくれた。

 いわゆる超現実的、というか前衛的なデザインで「アンビルド(建築されない)の女王」と呼ばれた頃から、コンペに勝ってなおかつ実際に建てられるようにもなって現在までの作品の数々、イメージ・ドローイングやプロダクツ・デザインにいたるまで、大らかに個性的に展開されたハディドの世界は、建築デザイン門外漢にもコックリ・ナットクさせ、なによりとても気もちがよかった。

 ボクの感じたあれこれを、ギュっと凝縮すると「かわき」になる。
 けれども、ハディドの「かわき」は、「乾き」とか「渇き」とは異なる。
 それはたとえば、大海原か、大海原に匹敵するほどの大砂漠、からうける「かわき」に近いようでもある。

 そこに、イメージされる建築世界は、船にいきつく。
 それも、必然的に「宇宙の船」である。

 そこに、こめられるのは水への憧憬。
 しかし、これまた実際に目にする水流というより、たとえば脈々と地中を潤し浸す地下水脈の「みずみずしさ」に近いようだ…。

 すると、展覧会の真打として高座にあがった〈新国立競技場〉ハディド案は、とうぜんのこと〈募集者側への大胆なる挑戦〉にいきつく。
 「さあ、どう、うけとめてもらえるのでしょうか」
 やられましたね。脱帽……デス。

「ザハの建築は、そこにありながら私たちが見ようとしなかった問題-都市の景観、建築コンペティションのあり方、あるいは社会の構造そのもの-を露わにした楔ともいえるでしょう」
 と、これは〈個展〉開催サイドからのメッセージ、言えてる。

 ハディドさんは、〈コンペで選んだあとは選んだ側の問題〉と言っているという。
 そりゃ、そうだ。
 審査委員長だった安藤忠雄さんは、正直に「これを造りたかった、どうしても」と言うべきであろう。

 それにしても、ですけど。
 建築のデザイン・コンペてのは、技術的に可能かどうか、とかは、まるで、ぜんぜん、別問題なんだ。
 純粋にデザイン競べなんだぁ。
 ボク、知らなかったなぁ。

 それなら、ハディトさんが〈個展〉的なのもワカルなぁ…。

*写真は、「ザハ・ハディド」展とは関係ありませんが…アートギャラリーのある同じ建物の喫茶店で撮った「和」の照明と、〈新国立競技場〉ハディド案の完成予想夜景図のコラボです…どう、似あいます*

*〈追記〉同じアートギャラリーで開催されていた「不可視のヴェール-高畠依子の絵画」もヨカッタ。油絵具を糸のように細く絞りだす手法というのが斬新で、まさに、キャンバスという身体に衣服をまとわせた感覚は快感!でした*