どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

いったん立ちどまって、考えなおした方がいい/  「生き方をかえた」男がもうひとり…

-No.0439-
★2014年12月04日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1365日
    (高倉健没から →   24日)
★オリンピック東京まで → 2059日




菅原文太さんが亡くなった

 11月28日のことという、行年81。
 (高倉)健さんが連れていくはずもなく、文太さんがついていったわけでもあるまい、けれど。

 どちらかというと、ボクは、『仁義なき戦い』の若い頃ではなく、『トラック野郎』シリーズからもずいぶん時を経て、文太さんと出逢っている。
 人生、そんなところがあるもので、だからオモシロくもある。

 東日本大震災、あの《3.11》があって、「深く感ずるところがあった」のはボクと同じ。
 なんだか、ずっと前を歩いていた年長の先輩が、ふと気がついたらニコニコ笑って並んで歩いていた…みたいな、無類の、ふるえるほどの親しみがあった。

 「原発はよくない」ことを、「戦争なんかしちゃならない」ことを、ぽつぽつと考えながら話し、みずから無農薬農耕をとおして、「いのちひとつ」と「人間いきすぎたらいかん」ことを訴えた。

 文太さん自身に言わせれば「生き方をかえた」ことになる。
 そのてんは、健さんも、いっしょ。
 彼もまた、そのきっかけとなる転機を一度、そうしてその結果として「生き方をかえた」のが一度。

 過去は消せなくても、生き方をかえることはできる。
 (ぜんぜんカッコワルかったけれど、ボクにも生き方をかえることになった経緯があった)

 「小さいけれど種の一粒か、二粒を蒔くことはできたと思います」
 たしか、そんな趣旨の、奥さんのお話も気もちがよかった。

 健さんと、文太さん。
 二人の〈よかオノコ〉を喪って、あと、望まれるのは、まるで後継みたいなカッコつけたがる若者たちが、どうかトッチラカッタ本質の曲解をしないでほしい。

 かつて(坂本)龍馬ブームのときには、そんな〈よくなかオノコ〉がいっぱいあった。
 〈よかオノコ〉になるには考える、よく考えるためには〈本を読むこと〉なのだ、けれども…。