-No.0439-
★2014年12月04日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1365日
(高倉健没から → 24日)
★オリンピック東京まで → 2059日
◆菅原文太さんが亡くなった
11月28日のことという、行年81。
(高倉)健さんが連れていくはずもなく、文太さんがついていったわけでもあるまい、けれど。
どちらかというと、ボクは、『仁義なき戦い』の若い頃ではなく、『トラック野郎』シリーズからもずいぶん時を経て、文太さんと出逢っている。
人生、そんなところがあるもので、だからオモシロくもある。
東日本大震災、あの《3.11》があって、「深く感ずるところがあった」のはボクと同じ。
なんだか、ずっと前を歩いていた年長の先輩が、ふと気がついたらニコニコ笑って並んで歩いていた…みたいな、無類の、ふるえるほどの親しみがあった。
「原発はよくない」ことを、「戦争なんかしちゃならない」ことを、ぽつぽつと考えながら話し、みずから無農薬農耕をとおして、「いのちひとつ」と「人間いきすぎたらいかん」ことを訴えた。
文太さん自身に言わせれば「生き方をかえた」ことになる。
そのてんは、健さんも、いっしょ。
彼もまた、そのきっかけとなる転機を一度、そうしてその結果として「生き方をかえた」のが一度。
過去は消せなくても、生き方をかえることはできる。
(ぜんぜんカッコワルかったけれど、ボクにも生き方をかえることになった経緯があった)
「小さいけれど種の一粒か、二粒を蒔くことはできたと思います」
たしか、そんな趣旨の、奥さんのお話も気もちがよかった。
健さんと、文太さん。
二人の〈よかオノコ〉を喪って、あと、望まれるのは、まるで後継みたいなカッコつけたがる若者たちが、どうかトッチラカッタ本質の曲解をしないでほしい。
かつて(坂本)龍馬ブームのときには、そんな〈よくなかオノコ〉がいっぱいあった。
〈よかオノコ〉になるには考える、よく考えるためには〈本を読むこと〉なのだ、けれども…。