-No.0431-
★2014年11月26日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1357日
(高倉健没から → 16日)
★オリンピック東京まで → 2067日
◆包丁も俎板もない家の女の子
朝霧高原で、子どもたちとすごしたキャンプ生活。
想い出の襞にクッキリと刻みのこされた、いくつかのシーンのひとつに、“マスつかみどり”がある。
富士川の支流、芝川の流れを堰きとめて囲ったなかにマスを放し、子どもたちに掴み獲らせて、河原で焼いて食べた。
掴み獲った子が列をなす先に、ボクらインストラクターが待ち構え、俎板の上で包丁をふるう。鰓を切り離すと同時にハラワタも抜いてしまう技は、養鱒場仕込みである。
子どもたちにそれを見せるのは、〈生きるための糧〉にいただく命を知って、けっして粗末にはしないことを学んでもらうため。
手ぎわよく、マスを苦しませずに捌く手先を、子どもたちは真剣な表情で見つめる。
ふと気づくと、ボクの列に並んだ一人の女の子が、自分の番になると後ろの子に譲って、列の後ろにまわってしまう、それを2度つづけて3度目に、ボクはその子の手をとって言った。
「ほら、お魚ちゃんがかわいそうだよ」
女の子の震える両手にきつく握りしめられたマスは、パクパク喘いで、すっかりヌメリだらけになっていた。
やっとのことでマスを手放すと、女の子はボクの脇にしゃがみ込んだ。
「あのネ、家には包丁も俎板もないの、お母さんはハサミでお料理してるの、お魚は切り身」
話には聞いていたけれど……そうかぁ、あるんだぁ……。
「よし、じゃ、よく見ててネ、帰ったらお母さんに話してあげような」
……………
後日、その女の子から葉書が届いた。
「キャンプから帰って、お母さんに、マスの塩焼き、おいしかった話しをしました。お母さんも、よろこんでくれました。いま、家にはほうちょうも、まないたもあります」
ボクは、不覚にも涙ぐんでしまったのだった。
◆それは朝霧高原、養鱒場のマスだった
富士の雨や雪が地中に浸み込み、やがて麓に湧いて流れる、猪之頭の清らかな湧水群は、鱒の養殖とワサビ栽培の名産を産んだ。
久しぶりの朝霧、懐かしの猪之頭。
里を歩くと、あちこちに水が湧き、それらをあわせた流れが速い。
汚れが淀むひまもないほどの流れに、それでも水草が懸命に枝葉を広げている。
ぼくは、いつも想うのダ、こうように水が湧き、足もとを洗う清流のある集落、水音のたえることのない風景は、それだけでよい、なによりの幸せ…。
“湧き水”というと、全国的には弘法大師の伝説が有名だが、ここ朝霧高原では源頼朝。
富士山麓の巻狩に訪れた頼朝が、地面を矢で撫でると、そこから清水が湧きだした、という。そう想わせりだけの驚きと、豊富さとをもっている。
陣場の滝から下流の白糸の滝あたりまで、“清流の里”はつづく。
*写真=上段、(上2枚)は陣場の滝、(下2枚)は猪之頭の湧水*
*写真=下段は、養鱒場を潤す湧水の豊かな流れ*