どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

澄んだ湧き水の流れる里は、それだけで幸せ/   頼朝伝説の朝霧高原、猪之頭湧水群

-No.0431-
★2014年11月26日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1357日
    (高倉健没から →   16日)
★オリンピック東京まで → 2067日







◆包丁も俎板もない家の女の子

 朝霧高原で、子どもたちとすごしたキャンプ生活。
 想い出の襞にクッキリと刻みのこされた、いくつかのシーンのひとつに、“マスつかみどり”がある。

 富士川の支流、芝川の流れを堰きとめて囲ったなかにマスを放し、子どもたちに掴み獲らせて、河原で焼いて食べた。
 掴み獲った子が列をなす先に、ボクらインストラクターが待ち構え、俎板の上で包丁をふるう。鰓を切り離すと同時にハラワタも抜いてしまう技は、養鱒場仕込みである。

 子どもたちにそれを見せるのは、〈生きるための糧〉にいただく命を知って、けっして粗末にはしないことを学んでもらうため。
 手ぎわよく、マスを苦しませずに捌く手先を、子どもたちは真剣な表情で見つめる。

 ふと気づくと、ボクの列に並んだ一人の女の子が、自分の番になると後ろの子に譲って、列の後ろにまわってしまう、それを2度つづけて3度目に、ボクはその子の手をとって言った。
「ほら、お魚ちゃんがかわいそうだよ」
 女の子の震える両手にきつく握りしめられたマスは、パクパク喘いで、すっかりヌメリだらけになっていた。

 やっとのことでマスを手放すと、女の子はボクの脇にしゃがみ込んだ。
「あのネ、家には包丁も俎板もないの、お母さんはハサミでお料理してるの、お魚は切り身」
 話には聞いていたけれど……そうかぁ、あるんだぁ……。
「よし、じゃ、よく見ててネ、帰ったらお母さんに話してあげような」

 ……………

 後日、その女の子から葉書が届いた。
「キャンプから帰って、お母さんに、マスの塩焼き、おいしかった話しをしました。お母さんも、よろこんでくれました。いま、家にはほうちょうも、まないたもあります」
 ボクは、不覚にも涙ぐんでしまったのだった。

◆それは朝霧高原、養鱒場のマスだった

 富士の雨や雪が地中に浸み込み、やがて麓に湧いて流れる、猪之頭の清らかな湧水群は、鱒の養殖とワサビ栽培の名産を産んだ。

 久しぶりの朝霧、懐かしの猪之頭。
 里を歩くと、あちこちに水が湧き、それらをあわせた流れが速い。
 汚れが淀むひまもないほどの流れに、それでも水草が懸命に枝葉を広げている。

 ぼくは、いつも想うのダ、こうように水が湧き、足もとを洗う清流のある集落、水音のたえることのない風景は、それだけでよい、なによりの幸せ…。

 “湧き水”というと、全国的には弘法大師の伝説が有名だが、ここ朝霧高原では源頼朝
 富士山麓の巻狩に訪れた頼朝が、地面を矢で撫でると、そこから清水が湧きだした、という。そう想わせりだけの驚きと、豊富さとをもっている。

 陣場の滝から下流の白糸の滝あたりまで、“清流の里”はつづく。
 



*写真=上段、(上2枚)は陣場の滝、(下2枚)は猪之頭の湧水*
*写真=下段は、養鱒場を潤す湧水の豊かな流れ*