どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“M6.8、震度6弱”で、死者も火災もない…幸い/  長野県北部地震では“追体験”が生かされた

-No.0429-
★2014年11月24日(月曜日、振替休日
★《3.11》フクシマから → 1355日
    (高倉健没から →   14日)
★オリンピック東京まで → 2069日




フォッサマグナ糸魚川静岡構造線)上での逆断層地震

 22日土曜日の22時すぎであった、という。
 ボクはその日、1日出歩いた疲れでバタン・キュー状態、すでに深い眠りのなかにあった。

 東京でも〈震度3〉の揺れが記録されたそうだが、ぼくは気づかなかった。
 前にも話したと思うが、わが家は丘陵地帯の造成地にあり、岩盤を削った上に建つせいだろう、〈震度2~3〉くらいの地震だと揺れを体感しないことが多いのである。

 とくにニブイ…ということもないと思う。
 防災意識は人一倍であろうし、気づけば状況把握にまず身構える習慣があり、ベッド脇には緊急時に備えて底の丈夫な靴を用意してある。
 枕もとのサイドテーブルには、少しの揺れでも感知して燈るLEDライトも置いてあるが、それも点灯した形跡がなかった…。

 ともあれ、いつもより寝坊して起きた翌朝、テレビに映るニュース・テロップで初めて地震を知った。
 知り合いに送った安否確認のメールは支障なく届き、「無事」の返信があった。
 状況は、長野市よりも白馬村の方に、揺れも被害も大きかったようだ。

 地震後の被害報告に注目するうちに、
「死者なし、火災発生もない」
 ありがたい災難中の幸いにホッとして、ひとつ胸が軽くなる思いだった。
 長い時を経た家屋の倒壊はあったけれども、行方不明者のないこと、火災の延焼する場面を見ないですむだけでも、こんなにも受ける衝撃がちがうものか…と、あらためて認識を新たにした。

 このことには、テレビなどでも触れられてはいたけれど、
「都会だったら、こうはいかなかったでしょうね」
 で、オシマイ。
 もう「すんだこと」でしかないのだった。
 (どうしてぇ、そうじゃないでしょうに!)

 テレビに流された映像で、印象に深くのこった場面が二つ。
 ①倒壊した家屋のなかに、とりのこされた人の救助。その場所、その人を的確に把握して、指示もすばやく、結果も難なく、無事に救出された。これはスゴイ、訓練だってなかなか、こんなにウマクはいかない。
 ②自分の家も近所も無事と知って安堵した人の感想、「あの《3.11》のタイヘンなことがあったときに、みんなが自分たちを振り返って心配して、忘れなかったから…じゃないですか」、「うちは大丈夫だっかから、すぐに隣り近所に声かけてさ、ホッとできるのも早かったから、よかったね」。
 
 《3.11》大災害の教訓、その風化が危ぶまれるなかで…。
 “追体験”がシッカリとなされ、キチンと命の守られたことは、もっと喧伝されなければならない。
 居住空間のゆとりなど、たしかに都会では難しいような条件もあるけれど。
 ①地域のつながり
 ②個々の日ごろからの防災意識
 〈できることをしておく〉心構えは、もっと称賛されていい。
 少なくとも、「あきらめる」のは〈できることをして…〉後のことダ。