-No.0423-
★2014年11月18日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1349日
(高倉健没から → 8日)
★オリンピック東京まで → 2075日
◆政治に期待しすぎないこと…か
吹きだしたらやまない解散風、だけど、この風の現実味は呆れるほど乏しい。
つまり、“突風”どころか“どこ吹く風”。
きょう夕方、安倍総理は、記者会見で衆院解散を発表するそうだ。
勝手に“リセット”解散、念のため“再起動”解散である。
またまた、マスコミも大衆もこぞってアレやコレやと、賑やかになることだろうが。
ぼくは解散・総選挙の結果よりも、これから先、対外的な“雲ゆき”の方が気にかかる。
ちょうど1週間前の11月11日。《3.11》から3年8ヶ月目の日。
北京で安倍・習会談があった。対立根深い日・中両国首脳の会談実現と騒がれた会見は、“一方的”な“すれ違い”におわった。
“会談”どころか“面会”にすぎなかった。
冒頭の挨拶場面で、無理っぽいお愛想笑顔で握手をもとめる安倍さんに対して、習さんの方の味も素っ気もない表情と態度は、首脳会談とは思えない冷え冷えとしたものだった。
このひどすぎる態度には、みな一様に驚いたらしい。
「あまりに無愛想な」とか「失礼にすぎる」とか、なかには「無礼であろう」なんて“憎中”の声もあったけれど。
ぼくは、あのときの習さんの顔に、抑えがたい、いかんともしがたい「生理的嫌悪」の情を看てとった。この“生理的”な“嫌悪”というやつは、説得や理解の埒外にあって、どうにも解決の糸口さえつかめない状況ダ。
たしかに習さんも大人気無い、「一国のトップとしてあるまじき態度」には違いないが、そんな難しい場数をたくさん踏んできた人にしても、抑えきれないのが「生理的嫌悪」というものでもある。
しかもこの「生理的嫌悪」は、その感情を抱いた人ばかりでなく、抱かせてしまった人の側の心理にも、とりかえしのつかないほどの底深い“冷感”というか、すべての温もりを拒否する溶け難い“冷塊”をのこす。
懸命に、習さんと握りあった手を振り動かす安倍さんの顔にも、「えっ」と場面をヨミ違えたような、明らかな動揺があった。
そのせいもあろう、およそ25分間の、型どおりのやりとり主張に終始したあと、“対話継続”の確認さえできていない、というではないか。
会談後の記者会見では、さすがに立ち直っていたかに見える安倍さんだけれど、心の「冷え冷え」は自身の体調にもかなり響いたことだろう。
「生理的嫌悪」というのは、そういう厄介な心情なのダ。
アベノミクス云々よりも、選挙結果のどうこうよりも、ぼくはこの「11.11面会(会談ではない)」の後遺症が案じられてならない。
日中関係は、しばらくこのまま、冷え冷えとしたままいくのであろう。
こういう局面で怖いのは、苛つきから起こる些細な火花が、大爆発を誘発しかねないこと。
アベサンはアブナイ。