-No.0406-
★2014年11月01日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1332日
★オリンピック東京まで → 2092日
◆11月になった、朝の食卓に“アジの開き”
「あれ…まぁ、おひさしぶりぃ」
ぼくは、思わずつぶやいて、笑みくずれてしまった。
それほどに、懐かしい対面だった。
もう何か月も、逢っていないのではないか。
以前は、よくお目にかかった。
「きょうも、またかょ」なんてこともあったくらいに。
東京近辺の町場で、ふつうに「干物」といえば「アジの開き」にきまっていた。
どこの魚屋の店先にも、無い日はなかった。
魚屋が、じぶんの店先で開き、干してもいたものだ。
鮮度の保持に苦労していた時代。
干物や焼き魚にして売るのは、魚屋のサービスであり、品物を捌く知恵でもあった。
海辺の旅の土産なんかにも、ずいぶん干物が幅を利かせたものだった。
だんだんに、世間が“干物”と縁遠くなっていったのは、流通の迅速化と鮮度保持技術のおかげ。
(もうひとつ“乾物”も縁遠くなってきたが、これは家庭で料理に手間ヒマをかけなくなってきたからだ)
“ナマ”が、産地から離れた町場なんかでも、“生半可”なものではなくなった。
とくにボクなどは、どんな魚でも「まずナマを味わいたい」ほどの魚好きだから、ほとんど、そのうれしさに目に涙である。
タラの刺身とか、マンボウの刺身とか、そのほかにもいろいろ、家庭でも味わえるようになったのは、とてもとてもありがたい。
そのぶん、干物との付き合いが減った。
ぼくは、旅人。
若い頃は、どうしたものか…宿の女将や、仲居の姐さんに惚れこんでいたから、なおさらの旅館派。
宿の朝飯に「干物」は付き物、海苔や生玉子のお友だち。
だけど、たいがい興醒めに冷めていた。
その後、どう心得違いしたものか、卓上ミニ火鉢で客に干物を炙らせる宿なんかが現れたりして、想えばあの頃からかな…。
1泊2食付きの旅館から、1泊朝食付きか素泊りのホテルに、鞍替えが始まった。
決め手になったのは、ベッドであり、品数ばかりで客を翻弄するがごとき食事であった。
それならいっそ、近ごろはナビのおかげで地方へ行っても、たいがいスーパーの1軒や2軒は探せるから、惣菜コーナーであれこれ物色するほうが、地元ならではの食材に出逢えることもあったりして、だんぜん愉しい。
ボクの場合はもちろん、まっさきに鮮魚コーナーを覗いて、佳さそうな“柵”ものを見つけて刺身に引いてもらうのがキマリだ。
そんなこんなで、旅館とも干物とも、近ごろは縁遠い。
と同時に、“干物”も「こだわり」の高級志向になっていった気がする。
ひさしぶりの“アジの開き”は、文化干し。機械乾燥もの、これはこれでよい。
けれども、やっぱり、たいせつな風味には欠ける。
「風味」と書くように、それは風の味わい。
干物は天日干しにかぎると、ぼくも昔は思っていたが、いまは身焼け・脂焼けのリスクが人肌とかわらないことを心得ている。
干物は風で干す。水分をとばして乾かす。風の味わいといっていい。
自然の風は乾燥機につくれない。
ぼくは、干物づくり用の吊るし網篭を持っているくらいだから、経験でそれがわかる。
たいがいの店のものより旨い、干物がつくれる。もちろん、一夜干しだ。
むずかしいのは「一塩もの」だが、これも自然製塩の粗塩が助けてくれる。
粗塩も、振るより、水塩にして吹きかけるほうが上出来になるようだ。
干すのは、開きばかりでもない。
三枚におろし、刺身をとったあとの“あら”も、一夜干しにする。
そうして翌朝、仕立てた「あら汁」の品の佳さというものは、「ほぅ」とため息の別格ものである。
……などといいながら、近ごろは干物づくりの網篭にも、とんと風をあてていないことに気がついた。