-No.0390-
★2014年10月16日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1316日
★オリンピック東京まで → 2108日
*文科省が12日に発表した2013年度「体力・運動能力調査」結果によると、格差拡大の経済状況とは裏腹に、子どもから高齢者まで、体力向上は“右肩あがり”の好調をキープ。とくに65~74歳女性の伸びが著しいという。これはぼくの身近でも実感できること。高齢者でも、女性のほうがよほど元気だ*
◆「風の又三郎」がよく似あう
種山ヶ原を訪ねたのは、2012年夏の巡礼。
この年は、もっとも巡礼回数の多かった年で、春・梅雨・夏・冬と4度も出かけた。
《3.11》から1年目のこともあり、被災地はまだ五里霧中の最中だったし、ぼくも心もち急かれていた時期だった。
「森を見よ」と、ボクは思った。
「沿岸」が「木」、「後背」が森。
“微視”には“巨視”をもってせよ…で、このときは意識的に、被災沿岸部と後背の山間部を行き来した。
石巻から、世界遺産の平泉に退いた後、種山ヶ原に上り、それからまた沿岸部へと下って行ったのだった。
種山ヶ原(種山高原)は、岩手県の奥州市・遠野市・住田町にまたがる“風の原”。
物見山を囲むように広がる600~870メートル、東西11キロ・南北20キロにおよぶ高原地帯は、宮沢賢治の理想の大地“イーハトーブ”でもある。
ここへは、定期的に通う公共交通機関がない。
したがって、観光地とはいいがたい環境も、幸いしているのかもしれない。
ぼくらは、東北道の水沢インターから国道397号で駆け上がり、高原の深い草地を分けて、しばらく遊んだ。
〈鬼ごっこ〉にも、〈かくれんぼ〉にも広すぎる天空のもと、だれも、しまいには、大の字になってひっくり返ってしまうしかない緑の大地だった。
仰ぎ見る顔のすぐ上や脇を、いたずらな風が筋をひいてからかう。
境を接する3市町のうち、この賢治世界の大地に、いちばん熱心なのは住田町。
《3.11》の後、自慢の森林資源を活かして木造仮設住宅をたくさん造り、沿岸被災地の人たちに提供した町には、ふさわしいステージに思えた。
町はここに、道の駅「種山ヶ原ポラン」と、集会施設「森林ランド種山」をもっている。
キャンプ場がうれしいのは奥州市の「星座の森」。
コテージと、カーサイト、テントサイトを備え、中心になる広っぱに『風の又三郎』イメージの少年の像が、風に向かって立っていた。
とにかく、風と草ばかり…ほかには、みごとに、な~んにもない。
心にまとわりつく、なにものもない。
ぼくは、ふと、陸前高田や釜石や、大槌や山田の子らは、種山ヶ原に遊ぶことがあったのだろうかと思った。遠足でも、林間学校でもいい、この高原の風を浴びることも、またとない経験のひとつ、心の支えになるだろう、と思ったからだった。
そのときは、新山高原のことなど知る由もない、ボクだった。
*写真、(上)は緑の風わたる高原「種山ヶ原」、(下左)は「風の又三郎」像、(下右)はキャンプ場「星座の森」*