-No.0384-
★2014年10月10日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1310日
★オリンピック東京まで → 2114日
*「スーパームーン」と期待をふくらませた8日晩の“皆既月食”、三脚にカメラを据えて待ち構えたのに、わが家のあたり町田では、厚い雲に阻まれ、むなしく空振りにおわった*
◆ようやく見えてきた再建、希望の明かり
“花っこ隊”という手芸のグループが、鵜住居(釜石)にある。
メンバーは手仕事の身に着いたベテランの母さんたちだが、名称は娘っぽく“花っこ隊”。
そのとおり気分は娘っぽく、若やいだ気分の集まりだ。
《3.11》のあと、仮設住宅での生活が始まった頃から、各地にさまざまな手芸のグループワークができていった。
趣味のグループもあれば、商品になるものを作って励みにするグループもあり、こうした活動の多くには、被災地の生活支援をめざす人たちの協力、働きかけがあった。
なぜか、みな、母さん婆ちゃんたちの集まりだった。
彼女たちには、井戸端という社交の場に、なじみがあったからだろうか。
たくみに、その場を活かすことができた。
そこが、男はどうも、うまくない。
井戸端の座もちが苦手のようだった。
“花っこ隊”も、そんな手芸グループのひとつ。
メンバーが手技にすぐれ、積極的な人たちでもあったから、進んで商品づくりに励んだ。
指導と材料の調達、販売支援には、都会のデザイナーや手芸作家のグループと、その仲間たちが取り組んだ。
仮設の集会所に週に二度、顔をあわせて、おしゃべりしながら日中いっぱい手仕事をする。
作るのは、さまざまな布製のシュシュやヘアゴム、ブローチなど。
手技もスキルアップ、いまでは“刺し子”にも熟達して、好評を得ている。
“売り子”を買って出て熱心な、若い女性陣の応援・声援もおおきい。
“花っこ隊”の活動が始まって、2年半あまり。
ぼくらも縁あって協力陣に加わらせてもらってきた。
…といっても、ここではもっぱらカミさんの出番。
ボクの方は、せっせと笑顔を誘って写真屋さん。
そんな“花っこ隊”に、曲がり角がきた。
折しも、このたび訪れた頃には、これまで瓦礫撤去痕の白っぽい広がりばかりだった風景に、こんもり盛土のあらわれた変化が、ようやく復興の兆しに見えた。
メンバーの一人が、仮設をあとに、わが家暮らしに戻っていった。
彼女の住いは、かろうじて津波にもっていかれずにすみ、修繕の手を入れればよかったから、ほかの人よりも早く動くことができた。
みんなよろこんで送りだしたのだが、それがきっかけ、みたいになった。
つくり手の中心だったSさんの、ご主人が病気で入院、看護に通うSさん自身も体調をくずした。
もうひとりの世話役、Kさんも交通事故にあい、むちうち症に悩んだ。
自然、「そろそろ潮時かな…って」という話しになった。
弱気がでた、こともたしかだけれど、そればかりではなかった。
あのときのことを、想いだしては涙の日々から、明るい笑顔をとりもどしていった“花っこ隊”。
手芸のグループワークに癒され、紛れてきた気分をかえる、次へのステップのときがきていた。
“仮設”の暮らしから、一日も早くもとの生活に戻ること、誰にしても再出発がすべてだ。
復興がなかなか進まない、じれったさに耐えながら、ここへきてようやく見えてきた、再建への希望の明かり。
縫い針を進める手が、ふと、気もそぞろになっても、やむをえない。
仲間の一人が再出発をはたしたあと、Kさんにも、待ちに待った生活再建のときがきていた。
そのよろこびのおおきさが、痛いほどわかる仲間に、でも、やはり共有はできにくいことだった。
「いいときに、大阪へも行かせてもらったし…」
Sさんの言葉に、気もちのくぎりが、はっきりあらわれていた。
イベントに招かれ、遥々でかけて行ったことも、いまはいい“想い出”になっていた。
支援してきた都会の、若い女性たちのグループからは、「潮時」を惜しむ声がある。
「ここまできたものを…」なんとか継続できないか、という気もちが、つよくある。
それも、わかるのだ。
この《3.11》の一大事は、多くの都会人の胸を、揺すり、動かした。
多くの若者たちにとっては、不安定な日常をのりこえ、みずからの存在証明にもなった支援活動だった。
だから、失いたくない。
それは、ぼくら爺っちゃ婆っちゃにも、同じくある。
「じぶんは、いちばん後に、仮設をでる」
大槌町の復興に懸命な、臼澤良一さんは、そういった。
「ぼくは、いちばん後まで、見とどける」
継続する力の在り処は、きっと、ほかにない、訪れつづけ、繋がりつづけること。
〈ボランティアは究極のお節介〉なのだから…。
*写真、(上)はいちばん最近の“花っこ隊”の皆さんとウチの婆っちゃ、(下左)はこのたびカミさんがプレゼントに持参した布製フォトフレーム(フルメンバーの写真入り)、(下右)は鵜住居の町でも姿を見せはじめた復興の“盛土”*