-No.0220-
★2014年04月29日(火曜日、昭和の日)
★《3.11》フクシマから → 1146日
★オリンピック東京まで → 2278日
◆オートラジオグラフ(放射線写真)なるもの
新聞紙面を大きくさいて紹介されたモノトーンの写真を見たとき、ぼくはトクンと心臓の脈拍が高鳴るのを覚えた。
そこには「いのち」が脈うっていたから、美しくあるべきだったが、無音に鎮められた警鐘を鳴らしてもいた。
見えない禍々しさを秘めた循環と汚点に、〈繊細の精神〉を鋭く突かれたようだった。
「放射線を撮る」と題された、その写真は美しい鳴き声でも知られる福島の“県の鳥”キビタキ。
ぼくにはそれが、賢治世界の『よだかの星』にイメージされた。
紙面では、その写真のわきに『春と修羅』の序、抜粋文が掲載されていた。
東京新聞のそのものが優れた紙面(4月19日付)でもあった。
森住卓さんの作品は、オートラジオグラフ(放射線写真)と呼ばれるもの。被写体から放出される放射線を捕らえて画像化する。
しかし……映像化される被写体には、すでに「いのち」がない。
ぼくが画像から受けた、美と醜の狭間に架かる「あやうさ」は、ソレだった。
加賀谷雅道さんの『放射線像』展があると知ったのは、それから間もなく。
(導かれる流れ)を感じて、でかけた。
ギャラリーは、部屋数の多い洋風住宅の、間取りをつないだ展示スペース。
そこに、サクラやモミジ、ツクシ・キノコといった植物、ヤマドリやヘビ、コイ・ネズミなどの動物、軍手・はさみ・長靴そのほかの生活用具…etc…。20数点が、懸命に凝っと、こらえて、おとなしく、息をひそめているようだった。
観る前のボクには、いくつかの連想と映像があったのである。
ひとつは、「シラウオのおどり(喰い)」のガラス・カップ、底に笹の若葉が敷かれた水に、ちいさな「いのち」がそよいでおり、黒い二つの目と背骨、ポチッとした内臓が透けていた…。
もうひとつは、中学のとき、生物の実験で調べた植物の葉の、葉脈の手強いほどのタシカさ。苛性ソーダ液で葉肉を洗い落とされながら、なお、組織の力強さを失うことがなかった…。
「放射線像」は、そのイメージによく似て、しかも、じつはまったく異なる様相、ツカエて消えることのないヤッカイ…というようなものであった。
それが“被曝”あるいは“汚染”の実相。
したがって、物より生物に、めぐるいのちのつながりに、グッと胸にこみあげる厭わしさを禁じえなかった。
生命体のなかで放射性物質は、循環系をつたって紛れもなく導かれ、筋肉に濃密に蓄積されていく態が知れた。その態が、薄いとはいえフクシマに関わるボクの身内にも、血のめぐりとともに感受される。
植物画像のなかには、つい先ごろ訪ねたばかりの飯舘村佐須、山津見神社裏山で採れたタケノコの記録もあって感慨ふかかった。
(その折りの訪問記は後日お届け)
音なく、臭いなく、姿もない。
見えない影には、つい怯えることすら忘れるヒトを想うと、「放射線像」「放射線写真」のカタチをとって広く知らせることの大切さ、いうまでもない。
この日(28日)は「放射線像」展の最終日、さいわいご本人にも逢うことができ、その旨お願いもして帰った。
ここではwww.autoradiograph.orgをご紹介しておこう。
この映像展があったのは、ギャラリー「やさしい予感」。
目黒駅からギャラリーへ歩く道筋には、防災の「ホーチキ(報知機)」本社。
他意はない、が、めぐりあわせの妙を感じたことだった。
*写真はすべて、ギャラリー「やさしい予感」に展示された加賀谷雅道『放射線像』展の風景*