-No.0217-
★2014年04月26日(土曜日)
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★オリンピック東京まで → 2281日
◆4月9日(水)、大間航路には新造船の姿、輝いていたけれど…
函館フェリーターミナルの朝は、いつものように海峡の強い風の中だった。
港内に入ってくる新しい船体が、白く輝いて見えた。
これから、この船に乗って大間へ渡ろうという船客たちが、入港に気づいて岸壁に出迎える。
ふんいきが、いつもとちょっとばかり違う。
港は新装、船も新造…新しく、若がえるのはやっぱりウレシイ。
津軽海峡フェリーの大間-函館航路に、デビューしたばかりの「大函丸」。
この船の新造にあたっては、大間町から相当な資金提供があったという。“まさかり”に譬えられる下北半島の突端、大間町からは「むつ」より「函館」のほうが近い。むかしからの地縁も深いのだ。
大間原発建設差し止め提訴が函館市からなされたとき、大間町は静観するしかなかった。海峡圏のよしみを想えば、遣る瀬無いことだったろう。
新造船になっても、朝夕2往復の就航にかわりはなく、青森-函館航路の1日8往復には比べるべくもなく、ほかの利便・サービスにいたっては雲泥の差といっていい。船体の大きさも半分くらいしかない、あくまでも“地域の足”だった。
大間行きの朝便に乗ったこの日の客、人数は30人たらずで、旅行者らしい姿はボクらを含めて3組くらいしかなかった。
その朝の函館山は好天を思わせて望まれたのたが、港を出るとまもなく、海峡は汐荒く風も烈しく変貌した。
◆大間原発はデカくなっていた
航路は短い。
1時間半ほどで大間港に入ると、こちらの港も装いを新たに、ターミナル・ロビーには巨大「大間マグロ」の造りモノが観る人を圧倒していた。
潮風に「原発マネー」のにおいがする。
大間原発は(町外れにある)印象だったが、フェリーから走り出るとすぐ港外に建ちはだかり、2年前、建設自粛中のときにはなかったデカさがハッキリしてきた。
ただし、容れモノだけの寒々しさはいかんともしがたく、こっちは“裏口”ということか、舞台裏の乱雑さで資材やゴミがとり散らかっている。
南の奥戸(おこっぺ)漁港側へと回り込むと、明日の出漁準備に余念がなかった漁師が船から「写真かぃ」とシオカラ声をかけてきた。
「あんたみたいな人が多いわなぁ、近ごろ」
レンズを向けようとすると手を払って、「なんかあったらお陀仏のツラなんか撮るなょ」怒鳴られたが顔は笑っていた。原発の賛否は知れない。
2年前には岸壁のあたりで遊んでいた子たちが、きょうは見えなかった。
春休みをおえた学校は、新学期が始まったばかり。
風が刺すように冷たく、突堤に立つと波間へ突き落とされそうだ。それにしても…。
(愛想も、可愛げも、なんもねぇな)
原発、睨んで思う。
開発といっても、人を呼び集める目的の建物ではない、寄せつけない忌避の建物である。これを見て気もちがいい人は、まず無かろう。けれども、それがおこす電気に、人は平然と擦り寄る。
生きものを殺すのは「残酷だ」という、おなじ人が屠殺・処理された肉を「うまい」と喰らって平然としているのと、かわらない。
*写真=上段、(上2枚)は函館港の津軽海峡フェリー「大函丸」、(下左)は荒汐洗う大間埼の灯台、(下右)は大間ターミナル・ロビーの「大間マグロ」オブジェ*
*写真=下段、(上2枚)は現在も工事中の大間原発、(下2枚)は2012年春建設“自粛中”当時の大間原発*