-No.0212-
★2014年04月21日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1138日
★オリンピック東京まで → 2286日
◆思い出すままに…10年前の平潟港
きのう4月20日の記事を書いているうちに、アンコウについて、平潟港について、さまざまに思い出すことどもがあった。
10年ほど前のことになる。
ボクはそのころ、なぜかアンコウに興味津々であった。
海の表層を活発に泳ぎまわる青魚たちから、深みに潜み棲む底魚たちへと食指が動いていった…といっていい。
神秘と珍奇、グロテスクな容姿に魅せられた…といってもいい。
神田須田町の「いせ源」、“わりした”味の「あんこう鍋」に、なんとも粋な酔いごこちを味わってしまったせいもあった。
本場のアンコウを訪ねて北茨城の平潟港へでかけた。
そこでは、濃厚な肝溶き味噌味の「どぶ汁」鍋を味わった。
「あんきも」は、いってみればニッポンのフォアグラ。
鮮度がよくても、淫靡な味わいをもっていた。
じつをいうと、このときから、ボクは食味としてのアンコウから気もちが離れた。
いっぺんで飽きてしまった…そういうことがあるものだ。
「いせ源」の“わりした”味には、磨かれた料理としての持ち味があった。
「どぶ汁」の脂濃さは、別物である。
「アンコウの七つ道具」という、食材にも程度があった。
その頃から、本場平潟のアンコウは衰退気味であった。
型が小さく、資源が細り、いじけてきていた。
その頃から、アンコウの漁場は北の海に移っていた。
北海道では、アンコウはそれまで「ほっちゃれ(棄てもの)」だった。
いまの本場は津軽海峡、下北半島・下風呂温泉の名物料理になっている。
(いせ源のアンコウも海峡モノのはずだ…)
それでも10年前、平潟漁港のセリには活気があった、魚も活きがよかった。
その頃と、見た目に変わりはない、いまの平潟港だけれども…。
フクシマ放射能汚染の悪影響は、ずぶ濡れ雨合羽のごとくズシリと身体を蝕んで重い。
◆もうひとつは〈アンコウの吊るし切り〉
「ぶよぶよの魚体は、そのままでは手に負えないので、腹にたっぷり水を流し込み、鉤に吊るしておいて捌く」
…というのは、あくまでもパフォーマンスであって、けっして包丁技(調理技術)ではない。
あたりまえだが、和の料理人なら俎板の上で、上手に捌き切る。
ボクがお願いして披露してもらったアンコウ包丁は、外皮をきれいにのこして捌く技。
湯びくと、アンコウのミニチュアになった。
こういうのを、ほんとの手練(てだれ)という。
これ見よがしの「活け造り」なんぞは、半端なものだ。
*写真=上段、(上左)10年前の平潟漁港、(上右)或る日のアンコウ水揚げ、(下左から)サヨリ、ホウボウ、マダラ。
*写真=下段、(左)俎板のアンコウを捌く、(右)湯びきのアンコウ・ミニチュア。