-No.0211-
★2014年04月20日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1137日
★オリンピック東京まで → 2287日
◆4月3日(木)、チリ津波注意報のなか茨城の海へ
南米チリ沖で発生したマグニチュード8.2の巨大地震について気象庁は2日夕、日本に到達する津波を高さ数10センチ程度と予測した。
「とんだ出発合図だよナ…」
かみさんに冗談口をたたきながら、ボクはひそかに心そよがせていた。
《3.11》ひと月後の2011年4月11日、東北被災地巡礼を始めることにしたときから、ぼくの頭には(いつかしら道中で大きな地震に遭遇するだろう)覚悟が、ごく自然にあった。
そのとき見知らぬ土地で、どう対処し、どう逃げきれるかも試練と思い、同時に(まぁなるようにしかならないだろう)こともわきまえていた。
最初のうちは余震に、それからだんだんに別途の地震へと、心構えは変わっていったけれども…。
その晩の段階では、2日深夜にハワイで観測されるであろう津波データを踏まえ、3日午前3時をめどに津波注意報を発表、東北・関東地方などの太平洋沿岸を中心に注意を呼び掛ける方針まで。
「津波の到達は3日朝から午前中のことになるだろう」
ニュースを観て寝た。
予定どおり3日午前3時、気象庁の「津波注意報」発令、予想津波高20センチ~1メートルを確認して出発。
見くびったわけではない。けれども、大震災を経験した後の感性には、津波警報・大津波警報には遠い軽度の規模が感じとられたからだった。
注意深く行動して、状況がよくなければ中止するまでだ。
常磐自動車道いわき勿来インター(福島県)で降りて沿岸部へ。
県境を越えて茨城県の北端、平潟港(北茨城市)に近づいても、海辺はあっけらかんと折からの雨模様のなか、少しの緊張も警戒も感じられないことに、勝手なもので(いくらなんでもコレはなかろう)気がした。
港には漁船が係留されたまま、漁師の姿なく、漁協の人に尋ねても「さぁ…(津波は)来たのか来なかったのか…」と首を傾げるだけ。
ただ、岸壁に出張った消防車の回る赤色灯だけが唯一、警戒中。
「はぁ、港外で30センチ、ここ(港内)で20センチ、注意報はまだ解除になっていません」
ぼくはふと、気象庁の観測データ室でモニター画面を睨みながら、地球の裏側での大事を懸命に読み解こうとする職員の困惑顔を想った。ンムゥ…ワ…カ…ラ…ン。
ぼくが今回、茨城の沿岸を訪れることにしたのは、いうまでもなく《3.11》被害は東北地方にかぎらず関東各地にも及んでいたからである。
ただ、それでもぼくはやはり、重点をより過酷な被害の東北に置かざるをえなかった。あれから3年が経ってやっと、少し気もちにゆとりができたのかも知れない。
“フクシマ”に近い北茨城の沿岸は、最大高さ6.7メートルの津波と原発事故というダブル被害に遭った。死者5人、行方不明者1人はまだ見つかっていない。
県北部漁業の主力、コウナゴ漁は放射性セシウム汚染で自粛に追い込まれ、昨年5月からようやく本格操業が再開されたが、いまも風評被害に苦しむ。
「北茨城産だばセリにかけてもらえねぇ」
南の大津港にくらべると被害の少なかった平潟港。
港口を陸繋の小島に守られた内港はなんとか難をのがれたが、外港にはいまだに津波に洗われた痕が痛々しい。
「どぶ汁」と呼ばれる味噌仕立てのアンコウ鍋と、(アンコウ)吊るし切りのパフォーマンスでも知られる浜は、耐え忍ぶように静まりかえっていた。
◆雨の大洗港で5時間遅れのフェリー待ち
北茨城の五浦海岸には、日本美術院を創設した岡倉天心ゆかりの美術館と六角堂がある。
その六角堂も《3.11》の津波に流され、のちに再建されていたが、立ち寄らなかった。
冷たい春の雨に気分がのらなかったせいもあり、北海道行きのフェリーがどうなるのかもはっきりしていなかったからだ。
船会社に問い合わせても、チリ津波の注意報はまだ解除になっていなかった。
とにかくフェリーの港ちかくまで行って、「アクアワールド・大洗」に遊ぶ。
水族館は春休みの子らで賑わっていた。来週からは新学期が始まる。
ぼくは水族館が好きだ。近ごろの水族館はとくに、さまざまに趣向が凝らされていてオモシロイ、生態展示やふれあい展示のアイディアもよい。
この大洗水族館でも、「マンボウのお食事タイム」やクラゲの「カラージュエリー水槽」などに子どもたちの歓声が集まっていた。
いっぽうでボクは、巨大水槽の揺れ動く海の奥に、秘められた厖大な水圧の驚異を想って観たりもしていたのだった…。
フェリ-の「津波注意報解除待ち」状況は変わらず。
ともあれ「欠航はない」のを頼りに、あとは港で待つしかなし。
乗船手続きをすませ、雨の中、ひたすら時のながれに身をまかせる。
夕刻5時半頃になってようやく、「津波注意報解除」。
ボクらが乗船する苫小牧行き夕方便は、18時30分の出航予定。
大洗港外で待機していた船が、出港の定刻ちかくなってやっと着岸。
フェリーは折り返し運航である。苫小牧から来る便はふつう14時に到着、輸送トラックの積み替えなど、諸準備に約4時間半をみての運航スケジュールになっているのだ。
万事にムダなく求められるいまの世の中、組まれた予定にゆとりは少なく、生じたロスはなかなか取り返せないし、安全優先に無理は禁物。
夜間、荷役の港は明明と灯る投光のもと、鉄道の操車場のような賑わいを呈する。
この大洗-苫小牧航路には、もうひとつ深夜便というのがあり、やがてその深夜便が苫小牧から到着、2隻のフェリーの出航準備が重なって、賑わいも増した。
出航を待ちわびる乗用車列にむけ、乗船開始のアナウンスが響いたのは22時をすぎた頃。
そうしてなんとか船室にくつろぎ、すでにほろ酔い気味の耳と身体に出航を告げる船の動きが伝わって来る頃には、時は23時をまわっていた…。
*写真=上段、(上・中4点)はチリ津波注意報中の平潟港、(下2点)は《3.11》津波被災ヶ所。
*写真=下段、アクアワールド・大洗の、(上左)出会いの海の大水槽、(上中)カラージュエリー水槽、(上右)オーシャンシアター、(下)マンボウのお食事タイム。