-No.0192-
★2014年04月01日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1118日
★オリンピック東京まで → 2306日
◆鳥
うっすらと笑みを含んで、その女〔ひと〕が街の角を曲がってくる。
くるっと後ろ姿になる。
ハイヒールの足もとから腰、背すじ、細めの肩まですらりと隙がなく、うなじから目を魅く髪かたちがすっきりと美しい。
そう、むなさわぎのアップ・スタイル。
それも、巻き上げた髪を飾りけなしのヘアピンだけで留めてある。
後ろ姿に自信がなければできない身の熟し。
(ティッピ)
という名が不意に夢のなかから呼び覚まされてきて、ぼくは息をのむ。
(どういうことだ……だれだって……)
夢のなかで(はて……)首を傾げると、あきれたみたいにツカツカと彼女の名前がワイプされてきた。
(ティッピ・ヘドレン)
たしかに、それが彼女の名だ。しかしそこまでだった。
ぼくには彼女の得体が知れない。
無意識に見る夢は、目覚めたあとの意識には障りのないように儚いのだ、とか。
だから憶えていることも、思い出すのもむずかしいわけだけれど、なぜか、この夢はクッキリと記憶の襞に刻みこまれてのこった。
翌朝、姿・髪かたちと名前だけはっきりしているその人捜しに、インターネット検索。
すると、あっけもなく(あぁ、そうか)得体が知れた。
その人ティッピ・ヘドレンは、ヒッチコック映画『鳥』の主演女優であった。
彼女の意思的に整ったアップの髪型が、鳥の群れの襲撃に遭ってはじめて乱れた毛さきの震えに、おののく恐怖をぼくはまざまざと思い出すことができた。
しかし、それにしても……。
パニック・サスペンス映画『鳥』は半世紀も前、1963年の作品である。その後にテレビ画面で観た記憶もあるけれど、もうすっかり忘れていた。それが、なぜ、いま、忽然と『鳥』なのか。
ティッピは、ヒッチコック監督に見いだされてこの作品に抜擢された。その理知的な美貌に、ヒッチコックがずいぶんご執心であったと、映画雑誌で読んだ記憶がある。
そして、ぼくにとっては、なんといってもあのアップ・ヘアが鮮烈であった。
けれども……。
ぼくの知るティッピは『鳥』がすべて、ほかにないんだもの、夢のなかでも首を傾げたくらいだ。
ひょっと意想外であった。
忘れえぬ女優さんなら、グレース・ケリーとか、イングリッド・バーグマンとか、オードリー・ヘプバーンとか、いっぱいいるのにさ。
どうして、彼女たちをおしのけてまで、思いもよらない『鳥』のティッピ・ヘドレンなんだろう。 不可解が、心にのこった……。
そうして、紫陽花の季節になった。
ある日、家の軒下に枯れ草の穂を一茎、見つけた。
(鳥の落し物だな)
ぼくは思ったけれども、気に留めなかった。
その辺には、おまけに木の実の食べ滓、皮と種とが混じって散らかってもいたのだけれど。
ぼくはそれを、なにげもなく見すごした。
空を飛ぶ連中の、いつもの、風のような気まぐれだろうさ。
それから数日。
「ねぇ、ちょっと来て見て」
二階からかみさんの声に呼ばれた。
来客用でここしばらく使っていない和室の、外の狭い濡れ縁の、軒天井に開いた通気口から、
「なんだか、鳥が飛びだして行ったわょ」
よほど吃驚したのだろう、指さしながら彼女、顔色が少し蒼かった。
通気口に被せてあったステンレスの網がいつのまにか無くなって、ポッカリ洞穴になっていた。
下の簀の子の床には、枯れ穂を丸めたような落し物……と。
よく見れば、木の実の食べ滓まで……。
いきなりストンと、すべての事態がのみこめた。
目を上げると、付近の電線にスズメより大型の鳥が並んで、こちらの様子を窺っている。
薄気味のわるい緊張感が漂う。
(鳥ノ巣ヅクリニ、ココガ狙ワレタ)
彼らにとっては(命ヲカケタ繁殖)、(猶予ハナラナイ、ユルガセニハデキナイ)ことだった。
どちらかといえば郊外型の住宅地の、わが家は木立の緑道脇にある。
メジロ、セキレイ、オナガ、ヒヨドリにモズ。小山があるのでデデポポ(山鳩)なんかもやってくる。庭木に巣を掛けた小鳥の雛が転げ落ちたりもする。
そういう環境に慣れ親しんだ油断があったのかも知れない。
脚立と手ごろな棒っきれを取りに、その場を離れたちょいの間に、偵察に飛来した鳥と危うく洞穴で鉢あわせしそうになった。
身近に聞く鳥の羽音、関節の軋みには生存競争の苛烈さが潜む。
嘴と脚の黄色い、黒褐色の身体の、首から頭にかけてが白というより灰色、薄汚れて見える……鳥はムクドリ。
どうやら向こうは本気で、気に入った物件に無断入居の腹とみえる。
そういえば近所にときたま、ムクドリの押しかけ間借り騒ぎは聞いていたけれども、まさか俺ん家に……とんでもない。
「彼ら(野生の生物)は愛すべき隣人たちですが、やむをえず敵対することになった場合には、断固たる決意と態度が必要です。相手を見くびってはいけないし、危険です」
信頼する専門家の言を想い出す。
棒で通気口の中を探ると、空き間は狭かったが、ムクドリの巣づくりには良さそうだった。
小枝と藁屑が絡まって出てきた。
キンチョウして、素早く考え、速やかに行動する。
予備の生ごみネットで穴を仮に塞いでおいて、通気口のサイズを測り、枠を拵え、網を張って、通気口に被せ固定する、一連の作業中にも油断なく活動音を高く響かせ、時折、現場に立って警戒の目を配る。
ヒッチコック映画『鳥』の、電線に群がり犇めく鳥の場面がゾクっと背筋を寒くする。
電線にはカラスも数羽見られたが、彼らは傍観者にすぎないらしいのにホッとする。カラスまで敵にまわしたくなかった。
どうやら、いちばん近い電線で様子を窺っている番いが当事者で、周辺にたむろしているのは協力仲間たちだろうか、離れて目に見えないあたりで頻りに鋭く鳴き交わす声もしている。
数こそ小競りあいの程度ながら、取り囲まれ、看視され、隙を狙われるのは、やりきれなくつらい、それも空から……。
生物が愛しいぼくだ、けれども、どうも爬虫類には親しめない。
進化の順で爬虫類につづくのが鳥類。ふだんは鳥が好きで、ことに猛禽類の在りようには畏敬の念さえ抱く。
しかし、シャッターみたいな膜をもつ目の険しさや、脚部に露出した威嚇的な鱗状の皮膚などは爬虫類に酷似するし、羽毛で装われていても細い首は蛇を想わせる。
人の胎児も進化の道筋をたどり、爬虫類期・鳥類期の相貌を見せるという。
固体発生は系統発生を繰り返す……ブルルッ。
夢には、警告夢とか予兆夢というのがあるらしい。
いずれにしても夢は、自身へのなんらかのメッセージであるという。
すると、あのティッピの夢は、ぼくにムクドリとの対決があることを告げたというのだろうか。
巣づくり阻止の仕事そのものは短時間だったが、その日一日、ぼくはムクドリの気配と対峙しつづけた。
幾度か、偵察に飛来する物音に脅かされたが、防御は破られることなく、夕暮れとともに鳥影は消えた。
なお数日、警戒の気をゆるめずにすごしてやっと、一件落着を確信した。
どこに仔育ての巣づくりを果たしたものか、ムクドリたちにあの殺気だった様子はすでに見られず、緊張関係も霧消した。
それっきり……ティッピはもう、ぼくの夢に姿を見せない。