-No.0190-
★2014年03月30日(日曜日)
★《3.11》フクシマから → 1116日
★オリンピック東京まで → 2308日
◆耐え難いほど正義に反する
裁判官が、同じ裁判官仲間たちに向け、また刑事司法という権限に対し、同時に検察という職責に対し、これほど憤りのこもった、痛切な告発の弁は初めて…ではなかったろうか。
DNA型鑑定の未熟は不幸の範疇かも知れないが、証拠の捏造にいたっては、肚の底からの鋭い悪寒を禁じえない。
「なんてことをするんじゃ」
だれが、どう、この責任をとるのか、とれるのか。
責任のとらせ方はあるのか、とらせてどうなるのか。
なにもかも「あとのまつり」だ。
国家は、このことにどう向き合うのか。
袴田巌さん(78)が48年もの間、死刑の恐怖にさらされ続けた事実を、ぼくらはいま、どう受けとめたらいいのか。元ボクサーの心身はすでに衰えきっていた。
それでも「命があってよかった」と、いうしかないのだろうか。
(そりゃなかろうが)
深甚な反省と至上の誠実が求められるのは、権力者たちばかりではない、ぼくたち庶民もこぞってダ。
このような状況に逢着してなお、死刑はありか。
(ヒトは報復のココロに哭きつづけるか)
ヒトの思い上がり、その甚だしさをいえば。
「ヒトがヒトの生死を裁けるのか」
ということと。
「自然はヒトがコントロールできるものか」
ということとは、おなじだ。
(後生大事のいまも、命あってのものだね)
ヒトは、かぎりある能力のすべてを、想像力に傾けなければいけない。
自分の身に降りかかってから初めて気づく……のでは、あまりにも悲しすぎないか。
(ボクの胸は震えつづけてる)