-No.0185-
★2014年03月25日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1111日
★オリンピック東京まで → 2313日
*桜前線は静岡まできたという。もうじき東京にも…。それを愉しみに北国から上京する知人あり、どうやら間にあいそうだ。昨日、町田ではハクモクレンがまぶしく満開の景が見られた。わが家の木瓜(ぼけ)はもう花もおわり、かわりにレンギョウが笑顔をほころばせはじめている。
*大阪市では、橋本市長が仕掛けた「がまんできない」辞任「がまんしろよ」選挙で、再選。めぼしい対抗馬なしで得票は多かったが、投票率25%にもとどかず…じゃカタなし。歯車が狂ったというより、だいじな歯車が1つ欠けてしまったようで、大阪もオツカレさんなこっちゃね。
◆あららぁ…こりゃ、やりなおしですねぇ
2009年、冬。
また半年後、前回手術の様子(再狭窄がないか)を診るため、再度のカテーテル検査入院。
この間、どんどん歩いてくださいと言われてはいたけれど、気分がそうはいかなかった。
“執行猶予”の感じなのである。
はっきりキマリがつかないと、どうにもならない。
つくづく、人間とはそういうものだった。
なにやら「このままでは済みそうにもない」気もしていた。
ムシが知らせる…というやつかも知れない。
1月15日(木)
10:30。
レントゲン、心電図、耳たぶ採血(出血時間しらべ)、尿検査、超音波検査。そして点滴。
19:00~ 説明(妻同席)。
1月16日(金)
カテーテル検査(14:00~15:00)。
*前回と同じ担当医。こんどは「苦しくないですか、なにかあったら言ってくださいね」などと話しかけながらの進行。おたがいさまに慣れてきた?
*左は「大丈夫ですね、いいでしょう」だったが…右の方が「あっらぁ、また狭くなってるなぁ」「ほっとくと心筋梗塞の畏れありですねぇ」と診断される。(やっぱりな……)黙然と声もない。
18:00~ 診断結果の説明。
*もう一度、こんどは新タイプの薬剤浸出ステントの留置に決まる。強力・高価ということだろう。
*こんども医者の方からは言われなかったけれど、ぼくが想うに、これは〈生体拒否反応〉のようなものであろう。前に留置したステントの近くに狭窄が認められたというのだから。次ぎは必然的に拒否反応を起こさせない策とヨメた。
*ぼくも、身体を弄られるのは嫌いだったが、(やむをえない)となれば諦めはいいほうだ。「俎板の鯉」である。
1月17日(土)
安静。
1月18日(日)
午前中は安静。
手術に備えて、午後は風呂。
*みずから下腹の体毛を剃る。
1月19日(月)
手術(15:30~16:30)。
*尿管を挿入。
*右鼠けい部からステント挿入、留置。
*術後、シース(止血栓)抜去、縫合。
*痛みはあったけれど、こんどは眠れた。
*夜半、隣りのベッドの同じステント留置組の男性一人が苦しみだし、あわただしく処置室へ運ばれていった。管の挿入時に引っ掛るかナニかあったらしい。ボクよりお歳の方で、血管が弱くなっていたのかも知れない。彼は、ボクが退院するまで病室に戻って来なかった。
1月20日(火)
尿管抜去。抜糸。
1月21日(水)
退院。
*こんども2泊3日の予定が6泊7日になった。
◆おらぁ…もう…やだからね
このたびもまた、「じゃ、半年後に…」と約束させられて。
しかし、いくら「俎板の鯉」といっても、もういいかげん痺れがきれたし。
「またダメだったりすれば、ひょっとしてヤバイんじゃないか」
漠然と“黄泉の国”への旅立ちを想ったりもした。
そうして…5月。
◆半年後の診察結果は無事「いいでしょう」
おかげさまで現在は、「心臓二次予防センター」で年に1回の検査と診断だけ。
ふだんの診察は「かかりつけ医」に、薬のめんどうは薬局にみてもらっている。
*(写真)は、担当医にお願いしてもらってきたボクの心臓血管(心筋)狭窄個所のひとつ。丸印の部分が…情けなく愛おしいまでに細く縊れている*