-No.0184-
★2014年03月24日(月曜日)
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★オリンピック東京まで → 2314日
◆わけもなく“禁煙”にセイコーしてしまったワケ…
そもそもの始まりは、2007(平成19)年、夏7月のことだった。
ある日、ぼくは「禁煙する」ときめた。
自慢じゃないが、意志はつよくないボクだった。
(タバコをやめるときには、これまでにナイような手だててやってみせよう、それを本に書いてやるのダ)
…などと不謹慎にも考えていたボクが、そんなことケロッと忘れたように“禁煙”を思いたち、いともあっさりと成し遂げてしまったのには、ボク自信が驚いたくらいだった。
体調というより、気分がすぐれなかったわけで、それも、これまでに経験のないような、薄気味のわるいものだった。
吐き気がするのに吐けない、いやらしい悪寒がつづいていた……。
近所の「かかりつけ医」の先生に、症状と“禁煙”を報告。
「タバコをやめたら、太らないように」
気をつけたつもりだけれど、すぐに5キロほど体重が増えた。
「歩くようにするといいです、1万歩くらい」
家から駅までの往復が、ちょうどそれくらいだと言われた。
歩き始めたら、愕然とするほど体力が落ちているのに気がついた。
1万歩なんて、とんでもない。すぐ、息があがる。ゆるい坂でも足が重い。
その話をしたら、先生がちょと顔を顰めた。
「どっちが先ですか、足? 胸(心臓)?」
訊かれたって、自身よくわからん。
前から、胸部レントゲンに白い影「ここ石灰化、動脈硬化ですね」と指摘されていた。
「いっぺん、詳しく調べておきましょうか」
……といわれて、ぼくもナットクした。
北里大学病院に紹介され、血液・血圧・運動負荷テスト・超音波(エコー)検査など、ひととおりやってみての診断が、
「心臓カテーテル検査をしてみましょう、念のため」
相談ではなく、承諾を求められていた。
「なんでもなければ、2泊3日ですみますから」
ぼくもそのつもりで、「検査入院」に同意したのだったが……。
◆ボクの心臓に金網の風船が入った日
一部始終を以下に記す。2008年8月のことだった。
6月25日(水)
10:30 北里大学病院、循環内科に検査入院。
18:00~ 手術の説明(妻同席)。
6月26日(木)
カテーテル検査(午後の1例目、午前中に4例があった)
〇始まり14:30~終了15:00(実質約20分)
*右腕から血管に管を挿入(内視鏡みたいなもの)、診察のため造影材を注入したとき指先まで熱くなって、ちょっと不安。が、ほかには、さしたることもなかった。
*麻酔は局部だから、施術進行の様子は患者にもわかるが、担当医からはとくにコメントなし。
*術後の圧迫止血が痛み、左手点滴のため身動きならず、とても安静にしていられない。朝までほとんど眠れず。この痛みは後までのこり、手術そのものよりもこたえた(この辺のことはその後どんどん改善が進んでいるようだ)。
6月27日(金)
検査の結果、左冠動脈に1カ所、動脈硬化による狭窄あり。「まだ軽いようだが治療しておきましょう」ということになる。
*そういう事情になっても、ボク自身さほどガッカリはしなかった。たぶん“禁煙”からこっちのアレコレから察して、半ば覚悟ができていた気もする。
手術は30日(月)の午後1例目に決まる。
*2泊3日の予定が7泊8日に延びた。
6月28日(土)
安静、休養。読書。
*夜10時30分すぎ、看護師2人が急に来て「(心臓)だいじょうぶですか?」という。ナースセンターの心電図から波形が消えた」と。もちろんなんでもなく、無事。
6月29日(日)
安静、休養。読書。
6月30日(月)
手術(14:00~15:00)。
*治療箇所は結局2カ所に増え、計3本のステント(極小の金属網状の風船みたいなもの、これによって血管の狭窄部を広げる)を留置。
*管の挿入は右脚、鼠けい部からだった。
7月1日(火)
安静。
*午後鼠けい部のシーサー(止血装置)抜去。
*若い医師が止血確認のため約30分間、手で抑えてくれていた(この辺もいまは状況がずっと良くなっているらしい)。
7月2日(水)
退院。
*「どんどん歩くようにしてください」といわれる。
*なお念のため「半年後にもう一度カテーテル検査」を告げられる。なんといっても〈心臓に異物が置いてかれた〉ワケだから…と、これはボクの解釈、医者はけっしてそんなこと言わない。
*(写真)は、担当医にお願いしてもらってきたボクの心臓血管(心筋)狭窄個所のひとつ。丸印の部分が…情けなく愛おしいまでに細く縊れている*