-No.0142-
★2014年02月10日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1068日
★オリンピック東京まで → 2356日
「げん木かい」(www.facebook.com/genkikai.TA)の、ハートの“復興タグ&ペンダント”、被災地の子らへの教育寄金。
2月8日現在の寄附金合計額は、17万6000円(ペンダント176個)。
ご協力ありがとうございます。
詳しくは、「げん木かい」のページをご覧ください。
◆まるで雪道を踏み抜いた気分
まさかボクは、ぼくの耳が、聞こえが悪いとは、思いもしなかった。
たとえば、役者さんとかの台詞がわかりにくいのは、アレは発音・発声がよくないのだ、近ごろは声のとおる人が少ない、口調のハッキリしない、声に張りのない人が多くて困る、とばかり…。
そんなあるとき、ふと(それにしても感度が落ちたような)気がして、大学病院の耳鼻咽喉科で検査してもらったら、なんと「ふつうの人の70%くらいしか聞こえていない」といわれた。
ショックどころか、愕然自失。
ぼくの耳は聞こえがわるかった、「難聴気味」だったのである。
それも(ちょいと小難しいことになるが…)、外耳・中耳あたりが原因の“伝音系”難聴ではなく、内耳機能が衰えた“感音(聴神経)系”難聴。手術でどうできるものでもない、即“補聴器”の世界へようこそ…だと。
大学病院では補聴器メーカーの協力を得て、個々の程度に相応の調整をしてくれる。
その補聴器を装着して、15~20分くらい病院のまわりを歩いてくるようにいわれる。調整と試着をくりかえす。
周囲の音の聞こえ方を自己チェックするわけだが、なにしろはじめてのことだから、(どこまで聞こえたらヨシとするのか)基準がわからない。
感度を上げると、たとえば、風の音が耳に吹きつける、物音が固く耳を叩く。
補聴器を外すと、風は吹くともなく微かに感じられ、物音は気になるほどのものではない。コレはたぶん、聞こえすぎなのだろう…しかし、そもそも聞こえすぎというのはあるのだろうか。
それが、ある…ことがわかった。感度を思いっきり良くしてもらったら、いつもこんなに溢れんばかりの雑多な音響の中にいなければならないとすれば、むしろ聞こえない方がマシ、に思えた。
いっぽう、人と人とのひそひそ話しは、補聴器のアル・ナシに関わらず、聞こえにくいことにさほどの違いはない感じ。
ぼくの耳はどうやら、とくに女性の高音に弱い。
人との対話・会話に重きをおきたいのだ、けれども、感度をあげると風の音にも脅かされることになる。
どうすればいいのか…。
結局、着ける本人がどう折り合いをつけるか…なのだった。
その折りあい付けに納得がゆかずに、途中で診療を諦める人もいて、ボクにはその人の気もちもよ~くわかるのダ。
◆どうか…ボクには囁かないでほしい
補聴器の着脱をとおして明らかになったのは…。
ある種の小鳥の(高く短い)さえずりが、聞こえない。
ある種の電子音の(遠慮がちな)告知が、聞こえない。
ある種の小型の風鈴の(かすかに)鳴るのが、聞こえない。
「ほのかに」とか「ささやくように」とかに、弱いのであった。
人から呼びかけられたのが、わからないこともある。
きっと向うでは、知らんぷりされたと思うことだろう。
人のいうことが、よくワカラナイことが多いので、前後関係から推しはかって適当に相槌をうつ…なんてのは、いつものことだった。
誰だって、多かれ少なかれあることだろうと思っていた。
いちいち「聞こえません」というのも相手に気の毒だし、くりかえしても同じことなら、いっそ面倒でもあった。
そう想いかえすと、ぼくは小学校の頃から、授業でもそんなことが多かった。
自分でも半信半疑ながら、なんとか折り合いを付けていた気がする。
「こいつナニいってんだ」という顔をされた覚えも、たしかにある。
実際、大学病院の補聴器外来には、幼児・学童の患者も少なくない。
そんな一人の男の子に、ぼくは訊ねてみようかと思ったことがある。
「きみは、どんなふうなのかなぁ、なにが、どう聞こえづらいの」と。
でも結局、思いとどまったのは、説明のしようもなく、くらべようもなく、自分にしかわからず、他人とは共有できることでもない、ことだったからである。
「他人の身になって」というのが、じつは「無理なこと」だった。
ましてや目に見えてわかる障害でもなく、なんとかならないモノでもない。
たとえ「すみません、聞こえにくいんです」と申し出ても、声音や口調をあらためてくださる方はほとんどない。おなじことのくりかえしに、訝しそうな顔つきのオマケがつく。たいがい、そんなふうだ。
まったく「聞こえない」ことにして「筆談」というのも、あまりに絶望的にすぎる。
……馬耳東風……夢のまた夢……
ボクはあきらめて、このままでなんとか、折りあいをつけていくことにした。
全聾の天才作曲家は嘘だった。作曲はゴーストのものだった。
牛乳を流したような…濃い霧の中に紛れこんだ心地だ。
ぼくには、ゴーストライターの経験がある。
依頼されて、作者のメモ書きから代作したことも、本人からの聞き取りをもとに代作したこともある。代わりに書く、出版界にはよくあることで、それだけのことだ。
報酬は場合によって、本人と六分四分であったり、ときには五分五分だったり。
そういう関係と、双方わきまえ、わりきっていた。
こんどの場合も、プロデューサーと作曲家の共作関係でいけば、なんのことはなかった。
こんどの場合は……。
双方に、唆す心の声が、ナニかあったのだろう。
耳が聞こえなくても、心の声は聞こえる。