どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 2013春・東北巡礼【4】 押し波と引き波の挟み打ちにあった−石巻市・日和山公園−




◆4月6日(土) 仮設の屋根に赤錆が浮く


 昨夜の泊りは、《3.11》から定宿になった奥松島月浜(東松島市)の民宿山根。
 浜の整備はなんとかできて、いよいよこの夏からは本格的に海水浴場を開く予定という。しかし…。
 この宿に隣接する仮設住宅団地の屋根には赤く錆びが浮いてきていた。仮設のある広場が、もとは海水浴場の駐車場だったところである。来客はとうぶんの間、はしゃいだり涙ぐんだり支援の行楽がつづくことになるのだろう。
 あれからすでに2年が過ぎた。


◆急坂の下を渦巻き流れた濁流と恐怖 


 こんどの巡礼では、なるべく“高み”に立つことを心がける。
 石巻市街では、日和山
 《3.11》大津波の映像で、その凄まじさに声を呑まされた情景のひとつが川を押し上る濁流だった。
 (川を遡ることで津波の威力がかなり減殺されたことも事実だった、少なくとも防潮堤で直に対抗するより有効だろうとさえいわれる、だから河川堤防の強化がだいじだと…)
 標高56mの日和山は海岸からわずか1キロほど、東麓を旧北上川が流れる。津波はこの流れに乗じ、遡り溢れて街を浚い、曲流部では反転して戻る返し波にも揉まれた。
 挟み打ちにあった。そんななかにあって、この低山が多くの市民を救った一方では、幼稚園児たちを乗せたスクールバスがどうしてだか山を下って被災するという不可解な悲劇が演じられたりもした。


 その日和山への坂道は、狭くてかなり急だった。
 台地の上に立つと、眼下の景が直下に近く感じられた。それほどの急坂を、火事場の馬鹿力なしに駆け上がれた人は少なかったろう、と思う。だから人々は難を逃れられたのだし、また、だから救われなかった人々も多かったろう…。


 北の眼下には川の中州に、特徴的な円い建物の石ノ森漫画館が眺められ、その向う上流の方は靄の中に紛れていた。津波の挟み打ちにあった漫画館は建物が助かり、昨年11月に再開館にこぎつけている。しっかりできていたのと、ユニークな建物の形もよかったのだろう。
 ここから濁流の市街を眺めやった避難者たちは、同時に足もとを浚われる恐怖もあじわったに違いない。
 鹿島御児神社の鎮座する南側、帆船時代の日和見(観天望気)にちなむ園地からは、日和大橋の架かる河口から石巻湾の海が望める。水面からかなりの高さを越えるこのアーチ橋も難を逃れた。
 昨年夏、この橋を渡って市街に入ってきたときには、河原に積まれたガレキの異臭がまだ強かったが、いまは瓦礫の山も見えない。着実に片づけは進んでいた…片づけだけは…。
 この一帯は、港町石巻アイデンティティーといっていい。
 『奥の細道』紀行でここを訪れた芭蕉曽良、主従の像も海を観ている。
 啄木の歌碑もあった。
 「砕けては またかへしくる 大波の ゆくらゆくらに 胸おどる洋」
 盛岡中学時代の明治35年、修学旅行で訪れた長浜海岸(河口からつづく海浜)での作という。
 いまよむと、また別趣の感慨ふかいものがある…。


 緑の園地は桜・ツツジの花見ごろも佳いそうで、散策がてら眼下を眺めにやってくる市民の姿も多い。
 見ると桜の蕾の固さが少しほぐれかかっている。そういえばここまで来る途中の東北道沿い、栃木県あたりまでは桜が咲いていた。
 「もうじきお花見ですね」
 通りすがりの老女に声をかけると、
 「ほんとうに…」
 やわらかな頬笑みがかえってきた。