*関連記事=2012-04-11 《3.11》一年後の被災地巡礼【1】閖上の海−風に投げられた献花−
◆2013年4月5日 高さ7メートル余の防潮堤延々−岩沼市−
常磐の海から仙台湾にかけて長く連なる砂浜。
この一帯に押し寄せ、ひたひたと大挙侵略のかぎりをつくしていった津波の映像は、いまも瞼の裏に生々しい。仙台空港という現代機能の文明施設も、大自然の脅威の前には恥かしいくらい、まったくなす術もなかった。
その国家的重点地区の海浜に計約5キロ、他に優先して進められた防潮堤復旧工事がようやく完成、宮城県初という。
岩沼海浜公園のあたりを目指して行く。
カーナビの地図情報はまだ震災後に対応できていないから、こういう場合にはかえって都合がいい、震災前の情報を頼りに探せばなんとか目的地に近づける。
表面はいちおう片づいた政宗公の貞山堀、その水路がいまは小舟を浮かべるでもなく黙然としていた。
浜に近づくと、低い地面の田んぼに「除塩作業中」の幟が寂しく風に揺れ、遠い向うにコンクリート壁の連なりが見えるが、これより先は“関係者以外立入禁止”の柵に阻まれていた。
防潮堤は高さ7.2メートルというが、遠目にはさほどのボリューム感はないし、これで大津波が防ぎきれるとも思えないが…ほんとのところ、どんなもんなんだろう。
報道によれば陸側の法面〔のりめん=人口の斜面〕も海側と同じ厚さ約50センチのコンクリートで覆い、見た目の圧迫感をやわらげるため表面に盛土をして隠し、周りに保安林を整備する計画だそうだが、それはまだとうぶん先のことになるのだろう、完成して見なければわからない。
かつてこの浜伝いには仙台亘理自転車道というのが続いて、晴れた日には海風ここちよいサイクリングが楽しめたことだろうと思う。再整備して内側は公園にする、のがいちばん好さそうに思える。
あるいは、営業立地があるとすれば工場くらいがいいところで、除塩してまでこの低湿地に田んぼや住家の復旧は(それはもうないだろう)という気がする。おりから小雨模様の天候のせいかも知れないが、無人の荒れ果てた原っぱで音高く動きまわる木質がれき破砕機の姿が、(呆れた)といわんばかりに大きく首を振るように見えてならなかった。
「ようやく朝市の活気をとりもどした」
閖上港のニュースに複雑な想いを抱きつつ、今回のぼくは仙台東部道路近くにある復興商店街“閖上さいかい市場”の方を訪ねた。“さいかい”の名称には「再開」と「再会」の願いががかけられている。
昨年2月にオープンした仮設商店街でも、この2月に名産の「赤貝まつり」を挙行したばかりである。
しかしボクは、何処でも似たような仮設造りの復興商店街そのものに興味があったわけではなく、被災した閖上住民たちのイマの、ナマの声を、コノ耳で直に聞いておきたかった。
名取というところは、西端の丘陵地まで全体に「ぺったらこい(平べったい)」。大津波災害に懲りて高台に集団移転といっても(そんな高台がどこに…)というほどの土地柄なのだ。市の方針は「現地で再建」だが、その計画についても各方面から意見続出と聞く。ここにも小さくはない軋みがあって、少なくとも(行政側にも住民側にも)大胆な思いっ切りが迫られていることだけは間違いがなかった。
周辺には仮設団地も多い、浜から2キロほど美田園地区、復興商店街で出会った10人の方の声…。
高台に移転したい……2人
元に戻りたい…………5人
わからない……………3人
「わからない」うちの1人は「このまちを出るかも」と呟いていた。
「元に戻りたい」うちの1人は「あと千年はないんでしょう」と笑った。冗談のつもりかもしれなかった、けれども……。
ここには閖上の造り酒屋「宝船浪の音醸造元」佐々木酒造も店をだしている。ぼくは今宵、旅の宿での晩酌に一本もとめて復興商店街を後にした。