どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

2013春・東北巡礼【1】 新“いちご団地”の眩しいハウス群? −宮城県亘理町−

*関連記事=2013-04-04 《3.11》それぞれの一年め/2012夏の被災地巡礼【4】 −亘理、奥松島、雄勝、牡鹿−




◆2013年4月5日(金) 宮城県亘理町


 《3.11》から二年目の春。
 前の年とおなじに、被災地の春が寒い…というより身に沁みて風が冷たい。
 (どういうことなんだ)怨みがましく天を仰ぐ。
 この冷え冷え感は、去年より厳しいかもしれない。
 サムいのはゴメンだ。
 しかし、巡礼の気分はいい、なにかふっきれたような気分がある。
 それでいて、けれども、どこか(こりゃアヤシい)気もしている。
 ボクは、年末年始にわたって長びいた風邪っぴきから、ようやっと逃れたあとだから…か。
 鈍った身体をいたわりつつ思う。
 あるいは、知らぬ間にひたひたと水嵩を増してきた〈なれ〉とか〈あき〉とかいうヤツのせい…だろうか。
 そんな想いに突きあたったとき、フッとした痛みが眉を顰めさせた。


 ここへきて、被災地支援のうごきに僅かではあるけれども軋みが生じている…のを感じる。
 《3.11》からずっと、いまも活動をつづける人たちはボランティアの達人といっていいわけだが、そんな彼らにも気の緩みは見られる。
 やむをえない、ことだと思う。
 人は緊張したままで生きてはいけない、気の緩むときがなければ参ってしまう。被災した人たちにも、支援する人たちにも、区別なく。
 ただ、あの極限状況を想い返せば、支援する人たちの側に、もうしばらくの辛抱、もう少し長めの我慢がほしい。


 軋み…は、(そろそろ見なおす時機かも知れない)という、心底の意識の芽生えに起因するものらしい。
 それは、まっとうな心のうごきだし、(やむをえない)と思うのは、そもそもがボランティアは〈お節介〉なことだからだ、思いやりの情からとはいえ…。
 そうして、土着でない余所者には、いずれ引きどきがくる。
 ふと気がついて振り返ると、自分の居どころからはずいぶん遠く離れてしまった(ように思える)。
 いつ、そっちへ帰ったらいいのか…、帰れるのだろうか…。
 ぼくにも正直、その気分はある。


 (このたびの巡礼では、ところどころで、この軋みに出逢うことになった、そのいちいちは追い追いの語り草…)
 (そこには、ようやく目に見えだした復興の動きがある、待ちわびた人々の表情にひょいとエゴの影がさしかけたりもする)


◆新“いちご団地”から広がる復興の波紋


 銀色のフレームに透明ビニール張りの、大きなハウス群が春の陽に輝いている。
 亘理町が復興の旗手にと目論む新“いちご団地”、3ヶ所に建設中のうち、もっとも大きな浜吉田地区(吉田字下新田)のハウス群があるところは海岸から3.5キロくらいか。盛土のインフラ道路、常磐道のすぐ内側は「ここまでは津波もこない」と信じられている(?)。
 (ぼくは、もっと山側に寄ったところかと思っていた)
 横に三角屋根の6棟がひと繋がり…これが標準タイプらしい。奥には、苗床用の小型丸屋根ハウスも付属している。外には暖房や給水関係の機器装置が据え付けられて省力システム化をアピール、「これが未来農業のカタチ」といわんばかり胸を張っているかに見える。
 中を見学させてもらうと、作業姿勢の楽な高設架台がズラリ整然と並んで、これはもう圃場(畑)というより工場に違いない。〈流れるような作業〉が実感されて、眩暈がするくらい怖いようでもある。


 区画整理された造成地の告示看板にも、工事会社の「ハウス建設」請負額数字が誇らしげに並ぶ。数えて10ケタ、下の方から数えてやっと10億円という巨額と知れる。ざんねんながらボクには、厖大としか感受できない。
 もちろんこれは災害復興事業で、国の巨額補助がある。さすがに国費がからんだ動きはダイナミックだ。
 亘理町の新“いちご団地”建設、その事業規模は面積64ヘクタール(=万平方メートル)、総額110億円。今年(2013)夏の完成を目指し、4百数十棟のハウスが建つ予定の、工事は追い込みにかかっているところだった。
 
 
 この眩しいような新団地には、いま100軒ほどのイチゴ栽培農家から参加表明があるというが、それは全体の9割が被災したイチゴ農家数の半分に満たない。
 ハウス設備は当初5年間くらいは無償貸出になるというが、土地は購入しなければならない。
 ランニングコストの課題もある。0.5ヘクタールのハウス1棟で1500万円の年間売上が見込めるというが、水道代だけでその1割程度はくわれることになるだろう、という。被災前は無料の井戸水だったが、いまは塩害で除去装置がなくては使えない。
 くわえて電気代も燃料代もぐんと高くなる。
 省力とひきかえにコスト高に苦しみながら、未来型農業への流れはとめようがないのだろう。
 苺という、根強い人気にささえられ傷みやすく愛らしい果実の、将来は明るく見えるばかりだけれど。しかし…それでも収益を上げていくには人手がかかり、人件費も嵩む。


 あの《3.11》があって、苺栽培から撤退した高齢農家も少なくない。
 高設栽培への移行になじめない人たちもいる。足腰に負担の少ない高設は作業が楽ではあるけれども、ヤシガラを敷きつめたプランターでの、いってみれば水耕栽培である。土ではない敷物は使い終えたら廃棄することになる。肥料だって養液だ。
 「イチゴの味は土耕(ふつうの表土での耕作)に敵わない」として、災害危険区域で従来どおりの栽培をつづける人もいる。もともと震災前の亘理町では、95%が土耕栽培だった。
 いっぽうで、災害復興の国家補助事業、無償貸出の恩恵にあずかろうと、これまでイチゴ栽培など経験したこともない人たちまでが新“いちご団地”への参加を表明するという珍現象もおきたりしている。さすがに、これにはすぐに規制がかかったそうだが…。
 こつこつと地道な足どりで、農業での再出発を模索する人たちが四苦八苦の奮闘をするなか、被災者支援事業の臨時雇用にとびついて給料稼ぎで凌ぐ人もある。モロモロやむをえない現実ながら、きけばきくほどに気もちの萎えていく話題は、やりきれない。


 あらためて亘理町の、眩しいハウス群を眺めやってボクはふと思った。
 こんどの大津波で、いちごハウスが壊滅的な被害を受けることになったのは、苺が砂地を好み、その砂地は豊富な地下水に恵まれていたからだ。その砂地が塩害を被ったこれから先は、(砂)土を離れた高設栽培法に移行していく。
 もはや砂地によらず、水も井戸(地下)水ではなく水道水によるのであれば、新“いちご団地”の立地はなにも浜に固執する必要はないのだろうに…。
 人はイメージに弱い、ということか。


 《3.11》のあと知りあいになった方々の、その後を訪ねる。
 Mさんは、ようやく再開にこぎつけたばかりの生食用イチゴの選果をしながら、新“いちご団地”での生産とそれにまつわるアレコレ複雑な事情とに、懸命に頭を悩ませていた。
 大津波災害からの再起をかけて、息子夫婦を誘いのあった北海道伊達市へ移住生産に行かせたのは、生業のリスクを分散させたかったからだった。その考えに間違いがあったわけではないが、いまは(家族の絆を離れさせてしまった)ことに悔いがあるという。大規模な未来型ハウスの苺栽培には、やはり若い力が不可欠でもあった。
 (ぼくは、このたびの巡礼でも北海道まで行く、伊達市に移住した亘理町いちご農家たちのその後、も訪ねる)
 Sさんは、Mさんの息子夫婦ら8名と共に北海道伊達市に行ったが、故郷の父親の病体を案じて移住生産半ばでUターンしていた。彼の家でも新“いちご団地”への参加申込をしているのだが…。
 両親がやっていくかぎりは自分も頑張るが「その先のことまでは、いまは考えられない」のが、正直なところだという。
 独身の彼にはまだ「将来が見えない」。


◆なんと…眩しいハウスが“不良品”で建て直し!?


 この記事、公開の翌18日。
 「新“いちご団地”の大型ハウスに重大な欠陥があった」
 と、Mさんから驚愕の報せ。不意討ちである。
 団地参加者を集めて急な会議があり、そこで設計とは違う不良基礎が使われていたことを明かされた。
 対応策は、全棟調査のうえ最悪の場合、不良ハウスは一度更地に戻して建て直す、という。
 それならまぁヨカッタ…のかというと、そうではない。
 新しいハウスでの栽培をめざして、すでに準備しつつあったクリスマス用イチゴ苗の行きどころがなくなる。今年の収獲に間にあわせるのに、いまがぎりぎりの時期にきていた。
 苺は、植え付けの時期が遅れるだけ花の数が減り、収穫も少なくなる。上手に育てられるかどうかで、収穫も収入も断然ちがってくる苺は、高値のクリスマス・シーズンに実りのピークをあわせることで、さらに違いが大きくなる。
 それが根底からパーになるのだ…建て直して済むことではない。
 どうしてこういうことになるのか…復興の掛け声むなしく凍りつく。

 さらに、その後。
 6月5日。すでに建設済みで不良基礎だったハウスは補強の鉄筋をたし、未建設のハウスについては正規の基礎をを使うことで関係者間の合意が得られた、という。

 8月末にようやく完成したハウスの、引渡式が9月3日にあった。


◆一駅間だってレールは錆びてないほうがいい



 JR常磐線浜吉田駅に近い踏切を通ると、道路の遮断機が復活、線路の通行止が解除されていた。
 この3月16日に浜吉田−亘理間(わずか5km)が復旧していたことを、迂闊にもボクは知らずにいた。
 あと2017年春に予定されている相馬−浜吉田間(22.6km、ただし駒ヶ嶺−浜吉田間は内陸へ路線を移設する)が復旧すれば、残るのは原発災害の広野−原ノ町間だけになる。


◆鳥の海沖産の海苔は旨味が濃い



 新聞記事で、亘理のノリ養殖復活を知ったのは今年1月。
 津波で失った養殖筏を再建、新たに整備された共同加工場で再スタートをきったという。まずは、めでたい。
 瓦礫の山(集積場)になっていた鳥の海の岸辺はきれいに片づいて、水もふだんの色だった。
 荒浜海苔部会の加工作業はすでに終えていたが、阿武隈川河口の海水と淡水の混じる環境で育つ海苔は「旨味が濃い」と評判の、製品は漁港に近い“ふれあい市場”で買うことができた。
 土産にさしあげた方々からも「美味しい、いい海苔」の讃辞ばかり。
 再開にあたって行った品質検査でも、放射性物質は不検。フクシマで苦闘がつづく厖大な汚染水処理の行方次第でまだ油断はならないけれども…。どうか無事であってほしいと願うばかりだ。