どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

 帰れっこないだろ/《3.11》二年め夏の被災地巡礼【2】  −双葉郡の二つの村、川内と葛尾−





◆2012年7月31日、火曜日。川内村


 常磐道の「立入禁止」広野と楢葉の町境から、いったん常磐道をいわき四倉ICまで戻り、一般道に下りて“浜通り”から“中通り”方面へとまわりこむ。
 国道399号に出て、磐越東線小川郷駅の先から山地へと分け入る。
 国道も地方の三桁台になると、ドライバーにある種の感慨を抱かせる。
 幹線も根幹の一桁台が混雑ぶりも半端ではないとすれば、沿線に見どころも多く愉しみ尽きない二桁台がいちばんに頼りがいのある走りどころ、そうして三桁台になると(思いがけない出逢いかナニがおこるかワカラナイ…)不測の事態も想定させられることになる。
 ここ“フクシマ”原発爆発事故の十字架おもく背負った双葉郡でも、沿岸部の六つの町(広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江)には幹線国道6号が通り、一方の山間に隠れた二つの村(川内、葛尾)を貫いているのは三桁国道だけである。その差、歴然…。


 登りにかかった道は実際のところ、実質は県道・村道クラスとなんら変わらない。
 ライフラインというより、グリーンツーリズムの世界といっていい。
 (こんなところをどう除染するというのか、また除染してどうしようというのか…)
 山影の側は仄暗い道に、ときおり見かける真っ赤な山百合とキスゲの鮮やかな黄が目に痛いほどだった。行きあう車も絶えてなく、あのときのままに放置された舗装の破断が、寄せられる関心の薄さを冷厳に物語っている。一度この道を通って出たら、二度と戻る気にはなれないだろう。


 ようやく辿り着いた村の中心集落の印象は、お休み中の映画のセットみたい、肝心の出演者やスタッフの姿が見えない。
 これが「帰村宣言の村」か…と疑った。
 交差する県道を、川沿いに東へ下れば富岡の町だが、いまは通行禁止。反対の西側にたどれば小野町を経て郡山市に至る。大半の村民とともに、役場も郡山に移った。
 川内中学校を訪れると、校庭に人影なし。あたりまえだ、夏休みじゃないか…とはいいながら、ガランと仕方がどこかチガウ。もぬけの殻になって時を経て、冷えきってしまった敷きっぱなしの蒲団、たとえばそんな感じがする。
 校庭を横ぎって玄関ドアの中に声をかけると、女性職員の返事があった。
 「えぇ、まだ全校生徒(200名ほど)のやっと二割弱くらいですかねぇ。親御さんにしたら、やっぱり汚染が気がかりでしょうから…時間がかかると思いますよ」
 郡山という街の便利な生活になじみ、さらに職場も得られたりすれば、「村に帰りたいのは年寄りだけ」が現実だろう。
 帰らなければならない事情は、生活の苦しいお宅に多いのも事実…という哀しい話も聞く。


 川内村の遠藤村長が、被災から一年後の2012年1月31日に他の町村に先んじて早々と「帰村宣言」したことを、ぼくは翌朝、同じ福島の空のもと裏磐梯高原の宿のテレビで聞き知った。(焦ったかな…)と思ったのを覚えている。村長自身「崖っぷち」と心境を吐露していた(詳しくは<2012・02・15>の記事を)。
 このまま、かけ声ばかりで〈捗らない復興〉状態がつづけば、いずれ村は無くなってしまうかも知れない…危機感は痛烈であったかと思われる。
 その後の動静を見ると、なるほど川内村双葉郡内でも比較的めぐまれた環境にあるらしかった。どれほどのモノかはワカラナイにしても、除染の進捗率も90%を超えたといわれる。双葉郡町村合併の話もあり、現実に郡内の他の首長から「その場合は川内を拠点に…」ともいわれたことがあるらしい。
 それから半年後のインタビューに、同村長の応えは「帰村した人数は3000村民の20%ほどで厳しい状況ながら、工業団地を造成して雇用創出の構想があり、また双葉郡内ほかの町村の人々には川内を第二の古里に住んでもらって、将来は5000人規模の村を目指す」だった。
 (ならば、そのように、なんとかせにゃ)
 いまの役場のありようを見て、ボクは思った。
 駐車場の車の数からして、員数もそれなりに揃っているであろう役場が、まるで汚染に怯えたか遠慮したかのように沈んで見える。とても「役場機能が率先して帰って受け皿になる」意気込みとは思えない。
 せめて役場の屋上高く「目標」を掲げ、「ご支援ください」と声高く叫び上げられないものか。
 それとも、ナニか遠慮しなければならないコトが他にあるのだろうか…と余計な心配をしてしまう。


 村の高台には、いま流行りの“ふるさと創生事業”だろう、憩いの入浴施設があり、物産市場もある。
 ざんねんながら人影はまばら、ではあったけれど…。
 だ〜れも観ていないようで、それでも、思ったよりも多く見られているものだ、という。
 現にボクみたいな人がいる、たぶんほかにも…。
 (村に関わりのある方どなたか、このことを役場に伝えてくださいな)


【付記】
 2013年3月16日の新聞に「川内村に再生エネルギー発電、ソーラーパネル設置」の記事。2022年までに脱原発を目指すドイツのエネルギー産業中心地ノルトライン・ウェストファーレン州(NRW)の企業と「大規模太陽光発電施設設置」の基本協定を調印、5月にも着工するという。計画では、約9.3ヘクタールの敷地にパネルを設置、毎時約6メガワットを発電、約1500世帯分の電力を賄う。放射性物質で汚染された土地(採草地)を活用するそうで、雇用創出と地元経済活性化も期待されるという。……明日へのたしかな一歩になることを祈る。


◆“特別警戒隊”が無人の村をパトロール葛尾村


 北上して、さらに山間の風情いちだんと濃く。
 あいかわらず対向する車もない。
 そんななかで、東の双葉町大熊町の方から来る国道288号と合流する。この道もいずれ三春町を通って郡山市に通じる。
 またひとつ峠を越えて葛尾村


 どんとT字になってぶつかる道の正面に、不意に監視小屋みたいなプレハブの建物が現れてギョッとさせられ、不審げなお歳をめした女性のお顔に会釈して角を曲がると、すぐのところに閉鎖中の役場があった。
 どこにでもありそうなコンクリの建物の、前庭に植えのこされた松の古木が“むかしの役場”姿だ。ふと懐かしくなって手を伸ばしかけたら、後ろから声がかかった。
 「その樹の幹から3万ベクレルだっけ、検出されたってよ」
 振り返るとお歳をめした男の人が笑っており、その後ろにやはりプレハブの詰所があった。


 この人たち皆、もちろん村民である。
 先に訪ねてきた川内村も村有地の90%は山林原野だったが、まだわずかに平地の望める余地があった。けれども葛尾村の場合はもっと条件が厳しい。
 どんな数字よりたしかな過疎化の証明は、村内交通無事故の記録だろう。現在1万3千日余りを突破(35年以上も事故がないのだ)して日々更新中、記録のあるかぎりでは単独自治体のトップといわれ、人口の流出が加速するばかりであった。
 そんな村におきた今度の“フクシマ”原発爆発事故騒ぎ、村民に与えた影響は他よりも一層の翳りが色濃い。
 全村が“警戒区域”か“計画的避難区域”に指定され、村人の多数も役場もお隣り三春町に避難した。
 テレビドラマふうに名付けられた“特別警戒隊”の、任務は(住めなくなった自分たち空き家の)防犯パトロール
 「盗るもんなんかないようでも、狙うヤツはいるもんな。まぁ、気休めみたいなもんだけどさぁ」
 笑いとばすのは、それが彼らの小遣い稼ぎ…就労支援にもなっているからだった。
 彼らはのほとんどが、避難先の三春町から毎日「ピクニック気分」で軽自動車に分乗してやってくる。
 「帰れっこねぇだろ、国じゃ除染とかいってるけど、どこまで本気なんだか、だって肝心の放射能洗い流した水をどうすんだ、なんのことはねぇ周りの沢へ流しっぱなしだべ…」
 どうやら彼らのいまいちばんの関心は「補償金がどれほどになるか」にあるらしく、
 「いや、おれは村に帰る」という声は、そこではついに聞けなかった。高齢化した村民の三割が「もう戻らない」意向とかで、様子見をきめこんで意思表明をさしひかえている人たちの本音を集めれば、もっと多数になることだろう。


 そんな過疎の村が“フクシマ”以前には、全戸に光ケーブル敷設という思いきった福祉対策をとって注目を集めたこともあった。
 山間の僻地で難視聴地域だったところに、ブロードバンドインターネット接続回線が引かれ、医師の往診もテレビ電話で依頼でき、電話も村内は通話無料になった。もちろん、地上デジタル放送も超高速インターネットもオーケーだ。
 「息子がプレゼントしてくれたもんで…」
 気恥かしそうに呟きながら、テーブルの端でノートパソコンのキーをそっと操作する人がいて…しかし、それがあらためて特異な情景と見られるほどに、ほかの人たちにはてんで関心の欠片〔かけら〕もなかった…。